しかし主催者側は、北朝鮮が民間人を虐殺した犯罪行為については一切言及していない。仁川上陸作戦以降、北朝鮮軍は退却しながら全国各地で数十-数千人の民間人を虐殺したとの記録が実際に残っている。「大韓民国統計年鑑(1955)」によると、韓国側における民間人犠牲者は12万8000人以上で、そのほとんどが北朝鮮軍による虐殺とみられている。戦争中に平壌、元山、咸興、遂安など北朝鮮の各地においても、金日成(キム・イルソン)が「反逆者を処断せよ」と指示したため、民間人に対する大規模虐殺が行われた。しかし主催者側はこれにも全く言及していない。公募の背景に関する説明だけを見ると、民間人が虐殺された責任は全て韓国政府にあるかのような誤解を招きかねないものとなっていた。
6・25の性格を北朝鮮による違法南侵ではなく、「内戦」あるいは「代理戦」と表現したことも問題視されている。「6・25内戦」という言葉は、北朝鮮や修正主義史観の追従者たちが「北朝鮮による侵略戦争、南侵」をごまかすために作り上げたものだ。主催者側は「第2次世界大戦から5年、日本帝国主義強占から抜けだし新たな大韓民国を樹立してからわずか2年後、韓半島で勃発した戦争は短い期間に最大の人命被害を世界史に記録した内戦」「南と北による内戦は世界を二分した冷戦体制の代理戦ともなる国際戦に飛び火し、戦線が拡大した」などの表現も使われている。6・25に対する主催者側のこのような認識は、英文にそのまま翻訳され、世界中の建築関係者に伝えられている。