この過激化はあらゆる群衆革命、紅衛兵革命、永久革命の宿命なのかもしれない。1789年にフランスでひとたび群衆革命の火ぶたが切られるや、事態は日増しに過激になり、ジャコバン派の独裁へと向かった。ロシア革命のときも、ケレンスキーによる自由主義の期間はボルシェビキ革命の独裁で急転直下、飲み込まれてしまった。「アラブの春」でも、エジプトのムバラク政権が倒れるや、事態は急速にイスラム原理主義の手中へと落ちた。
韓国でも、民主化が群集の直接行動と「広場権力」で実現したことで、「ろうそく」が偶像と化した。「ろうそく」初期に押し流されていた市民が引き揚げたところへ、韓国版ジャコバン派が入ってきたのではないだろうか。そして公捜処は、彼らの過激な考えを執行する「ジャコバン派の公安委員会」に相当するものではないだろうか。蔚山地裁の金泰圭(キム・テギュ)部長判事はこうただした。「警察、検事、判事が公捜処に膝を屈したら、けん制はおろか、一目にらむということもできるだろうか」。司法が「運動」の侍女となったら、それも恣意(しい)的支配だ。また別の権威主義が、また別の民主化運動を呼ぶ時代だ。
柳根一(リュ・グンイル)=ジャーナリスト