【寄稿】往年の韓国民主化闘士たちがつくる恐怖の公捜処

【寄稿】往年の韓国民主化闘士たちがつくる恐怖の公捜処

 高位公職者犯罪捜査処(公捜処)という名前を聞くだけでもぞっとする。権威主義時代が連想されるからだ。あの時代は、恐ろしい「化け物」が多かった。合同捜査本部、革命検察部、革命裁判所、非常軍法会議、南山(中央情報部〈KCIA〉)6局、南営洞分室、ビンゴハウスなど。彼らが現れたと聞くと、山川草木がおののいた。

 いわゆる「進歩」真っ盛りの季節にいささか声の大きい人々も、当時、あの「化け物」たちにひどくやられたことがある。ところがそんな人々も、権力を握ると、ある日突然「公捜処」をつくりたいという。国家情報院(韓国の情報機関)や機務司令部(韓国軍の情報部隊)を無力化した「民主闘士」でありながら、自分たちも「何のけん制も受けない」閻魔大王省をつくりたいというのだから、世の中は本当に変わったわけではなく、巡り巡っているらしい。

 40年前の場面が目に浮かぶ。1974年夏、ソウル・筆洞にあった南山6局の留置施設では大勢の人―当時は政治犯、後の実権者―が、一日中あぐらをかいて苦しそうに座っていた。彼らは「何のけん制も受けない」捜査機関や非常軍法会議で随分ひどい目に遭わされた後、一部は同年9月に安養刑務所へ移監された。

 移監初日の夕刻、韓国の刑務所史上おそらく一度もなかったであろう一大「事件」が起きた。安養刑務所の一棟をぎっしり埋めた彼らは、窓を開け放って「娯楽会をやろう」と声を上げた。順番にあらんかぎりの声で、それぞれの愛唱曲を歌った。刑務所当局は、それを阻止するより、そのまま放置しておくことにしたらしかった。そんな「民主化運動」がその後どういうわけか、今になって権威主義にも劣らぬ「彼らの化け物」をつくりたいという。アルベール・カミュが語る通り、「一時の受刑者が処刑者へと変わった」のか? 全く、長生きはしてみるものだ。

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