中世の欧州に存在した免罪符はあの世で通用する証文だ。しかし、現代韓国で青瓦台が与える免罪符は現世で大きな力を発揮する。検察は野党の告発状を無視せざるを得ないだろう。世論の圧力で無理に捜査を進めたところで、まともな捜査はできないはずだ。起訴に持ち込んでも嫌疑は不十分だろう。結局裁判所もその起訴状に基づく判断しかできない。青瓦台による発表以降、政府の雰囲気も変わったという。「もう終わった」として、金院長に背を向けた人が再び集まり始めているという。韓国はそんな社会だ。そんな社会であることを知っているからこそ、青瓦台は「適法」判断を公表したのかもしれない。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が最も嫌っていたのはそういう社会だった。大統領は検察が政治権力と癒着し、立法、行政だけでなく、司法にも干渉してきたことを憎悪してきた。沈む権力を捜査し、浮上する権力には目をつぶる検察の捜査権乱用が法治主義を崩壊させたと主張していた。検察が権力を警察に一部移譲したからといって、改革は完成しない。政治権力が民主的であってこそ、検察の権力は悪用されない。民主的政治権力がまず、「検察権力のコントロール」という誘惑を捨て、「検察権力のけん制」に忠実になってこそ、正義が成り立つと大統領は考えた。それは正しい見解だ。大統領の著書『検察を考える』を筆者はそういう脈絡で読んだ。