独走状態が予想されたそのフィギュア人生に「生涯のライバル」キム・ヨナが登場したのは06年だった。ジュニア時代は格下と評されていたキム・ヨナだが、シニアになってからは目覚ましい成長を遂げ、試合に出場するたびに浅田と1・2位を競い合った。世界フィギュア界の中心が欧米からアジアに移った時期だった。07年グランプリ・ファイナルでキム・ヨナが優勝(浅田は準優勝)したかと思えば、1年後の同じ大会で浅田が優勝(キム・ヨナは準優勝)という状態だった。年齢も同じで、誕生月も同じ9月の2人は、演技やジャンプだけでなく、音楽・衣装・メイクの方法まですべて比較の対象になった。浅田は当時のインタビューで、「私たちは同じ年の同じ月に生まれ、身長もほぼ同じで、同じスケートをしている。運命のようだ」と語っている。
2人の運命が決定的に分かれたのは10年年のバンクーバー冬季五輪だった。浅田には主な武器としてトリプルアクセルがあり、キム・ヨナはジャンプや・表現力で完ぺきに近い選手として成長していた。2人の妖精によるバンクーバーでの対決は「世紀の対決」と呼ばれるほど熱かった。だが、勝ったのは合計23.06点という大差を付けて金メダルを手にしたキム・ヨナだった。その時から「ナンバー2」になった浅田は、4年後のソチ冬季五輪でもキム・ヨナに挑んだ。しかし、キム・ヨナが銀メダルと善戦したのに対し、浅田はミスを連発して6位に終わった。