■裁判官忌避申し立て6回
起訴以降、一審判決まで2年5カ月もかかったのは、被告らが「裁判遅延戦術」を駆使したためだ。S被告ら4人は一審だけで裁判官忌避申請を5回も提出した。被告人4人のうち3人は裁判所人事で裁判所が変わるたびに裁判官忌避を3回申請し、棄却されるや抗告と再抗告を繰り返した。残る1人は後から別途忌避申請を行う「分割」戦術も使った。裁判官忌避申請が出されると、大法院で最終判断が下されるまで裁判が中断される。被告らの一審は11カ月間ストップした。裁判が長引く間、身柄拘束状態で起訴された被告3人は保釈などで全員が釈放された。
S被告らはそれ以外にも違憲法律審判申し立て、拘束執行停止申請、弁護人辞任などの方法で裁判を遅延させた。一審判決を2日後に控え、国連に第3国への亡命支援などを求めたが、認められなかった。
S被告らは二審でも裁判官忌避申請を1回提出したが、大法院で最終的に棄却された。その過程で二審も3カ月間中断した。被告らと共に一審の審理を受けていた連絡係のP被告(54)は2023年10月に別途に提出した裁判官忌避申請に対する裁判所の判断が遅れ、裁判が分離された。 連絡係のP被告には昨年10月に懲役14年が言い渡され、現在二審が進行中だ。
4人以降に起訴された「民主労総スパイ団」「自主統一民衆前衛」「ヒウッ・キヨク・ヒウッ」の各事件の被告らも同様の裁判遅延戦術を使っている。裁判官忌避申請、国民参加裁判申請などを繰り返す手法だ。起訴当時、拘束状態だった被告人全員が一審の審理途中で勾留期限満了などを理由に一時釈放された。
法曹界は裁判所も裁判遅延の一因をつくったと指摘する。自主統一民衆前衛事件の場合、検察が2023年3月にメンバーをソウル中央地裁に起訴した後、2年間で正式な公判は2回しか開かれなかった。ソウル中央地裁は昨年4月、被告の求めを受け入れ、担当裁判所を昌原地裁に変更した。「集中審理が必要だ」との理由で被告の居住地に近い裁判所に事件を移管したわけだが、その後も争点・証拠の整理を行う公判前整理手続が4回開かれただけだ。裁判所忌避申請を大法院が審理中で一審裁判は止まっている。 ヒウッ・キヨク・ヒウッ事件も2023年4月に起訴されたが、1年11カ月にわたって一審の裁判が空転している。司法関係者は「裁判所は裁判遅延目的が明らかな被告人の申請を認めないか、早急に結論を出すべきだ」と話した。
兪鍾軒(ユ・ジョンホン)記者、イ・ミンジュン記者