避難民たちは墓の上でも生き抜いた【朝鮮日報コラム】

釜山・峨嵋洞の碑石村に行ってみた

日本人共同墓地の墓石・石仏を土台や塀にして家を建て、避難民は苦難に耐え抜いた

 ホンイ・ヒョンスクは動画作品で創造を広げ、墓の中にいたであろうある日本人兵士を思い浮かべている。動画の中では、日本人俳優(サト・ヒロム)が上着を脱いだ若い兵士に扮(ふん)し、墓から出てきて集落を歩き回る。ホンイ・ヒョンスク自身は集落の住民を演じた。動画には韓国語と英語の字幕が付き、展示場には低い声で詠ずる兵士の日本語が響く。「私が地中からあなたのことをもっとよく見れば、(中略)飯を炊く匂いのせい、すっぱいタオルの匂いのせいだ」「私があなたに出してあげられるものは、冷たい石の体だけだったが、あなたはそこに寄りかかって思いきり泣いた」「あなたが私にくれたのは涙の滴の温かみ、尻の体温だった」

 日本人墓地の上に形成された避難民集落という、この苦難に満ちた史実を、どのように見るべきか。自国民の墓も守れない侵略者の敗退に「事必帰正(全てのことは必ず正しい道理に帰する)」の痛快な気分を感じるべきだろうか。植民地にも戦争にも打ち勝った韓国の民草の粘り強い生命力を読み取るべきだろうか。ホンイ・ヒョンスクは、一段階踏み出している。作品の説明に「避乱民は、死者の上で生者が暮らせるように居所を出してもらったことに対して申し訳なさとありがたさがあり、祭祀(さいし)や慰霊祭を共に執り行ったという。ここに埋められている人々は支配層ではなく庶民や下層民出身で、つらい生活を送り、死んでいったのだという同病相憐の認識があったという」と記した。

 動画作品の最後で日本人兵士は、ホンイ・ヒョンスクと「二人舞」をしながらこう語る。「私はあなたを置いていくことはできない。(中略)生きていようと死んでいようと、あなたと私は既に同じ種族だからだ。それほどに私たちは、あまりにも近くにいるからだ」。今も住民たちは、数多くの苦労にもかかわらず、各家庭にプロパンガスのボンベを置いて墓石の上で暮している。展示にも村の旅行にも感動して戻ってきた。

李漢洙(イ・ハンス)記者

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  • ▲ソウル市芦原区の北ソウル美術館で展示されているホンイ・ヒョンスクの映像作品「峨嵋洞碑石村」
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