張氏は捜査を受ける間、ずっと不安にさいなまれたという。「別件捜査」が原因だった。張氏は「内乱陰謀容疑と関連する証拠が何も出てこないからか、検察が陸軍総長時期の人事・出張不正、横領の有無などをくまなく調べた。私は潔白を確信していたが、部下のレベルで私が知らないことが何かがあったかもしれないので不安だった」と話した。
「セウォル号遺族査察事件」などで検察の捜査を受けた李載寿(イ・ジェス)元機務司令官は2018年12月に自ら命を絶った。検察の逮捕状請求が棄却されたにもかかわらず、耐えられなかったのだ。李氏は令状審査に向かう途中に手錠がかけられ、カメラマンの砲列を浴びるなどの侮辱を受けた。
予備役元士(副士官)のキム・ジェヨン氏は、セウォル号事故の当時、機務司令部で全羅南道珍島地域の担当官だった。キム氏は「事故直後はただ使命感、責任感で道端で寝ながら10日余りを事故現場で勤務した。遺族は何が必要なのか、どんな要求があるかを把握しなければならなかったためだ」と話した。キム氏は「それでも機務要員は全員が査察疑惑を受け、いくら釈明しても捜査機関は話を聞いてくれなかった」と振り返った。セウォル号遺族査察事件では、最初の検察捜査段階で地域部隊長が起訴された。「上層部を明らかにせよ」という遺族団体の要求を受け大規模な再捜査が行われたが、追加で起訴された人物はいなかった。
キム氏は何の処罰も受けなかった。しかし、機務司令部の解体で野戦部隊に放出され、新しい部隊で適応できずに結局除隊を選んだ。機務司令部に対する捜査で拘束されたある関係者は「スパイ団事件で拘束された人々は領置金(差し入れの現金など)があふれ、弁護士の接見も多かった。一生スパイ防止業務を行って捨てられた自分には悔恨が生じた」と話した。
キム・ジョンファン記者、ヤン・ジホ記者