任鍾晳氏の「南北二国論」に元運動家・閔庚宇氏「主体思想派は北の立場でしょっちゅう豹変」

NL系市民運動家・閔庚宇氏「主体思想派は北の立場でいつも豹変」

―統一運動で北朝鮮の立場はそれほど重要だったのか。

 「2001年に金剛山で6·15祝賀式典を開くことにした。 金大中(キム・デジュン)政権は(1997年に利敵団体に当たるとの判決を受けた)汎民連韓国本部が議長団に入るのならば、行事を許可しないと通告した。汎民連の内部会議では『反政府闘争をやろう』などという激しい論争があった。その時、北朝鮮からファクスが1枚入ってきた。「今回は譲歩してもらいたい」という内容だった。論争はそれで終わった。汎民連北朝鮮本部の名義のファクスだが、実際には北朝鮮の統一戦線部が下した指示だと考え、誰も異議を申し立てなかった」

―統一運動をやる場合、北朝鮮と連携があったのか。

 「統一運動に参加した大学生や市民の中には善良な意図を持った人も多かった。ただ、1980年代後半に北朝鮮が韓民戦(韓国民族民主戦線)を通じ、韓国の学生運動勢力に『思想的指導』を行ったことも事実だ。北朝鮮が韓民戦放送を流せば、それを短波ラジオで聞き、誰かが徹夜で番組内容の記録を作り、未明には学生会の部屋に置いていった。それをコピーしてキャンパスに回した。影響力は大変なものだった。1989年の林秀卿(イム・スギョン)訪朝の際も、韓民戦放送が『血を吐く訴え』という表現を使い、訪朝の必要性を強調した記憶がある」

ー統一運動をしながら、北朝鮮から指示を受けたことはあるか。

 「1995年から10年間、汎民連韓国本部で働いていた時、日本の朝鮮総連政治局長と多くて月に15回電話で話した。非常に重要な問題があれば、政治局長が北朝鮮に意見を聞き、ファクスを受け取って韓国に送ってくれた。北朝鮮の指導が日常的に働いていると見るべきだ」

―北朝鮮はなぜ「敵対的二国家論」を掲げたと思うか。

 「北朝鮮が望む連邦制は不可能だと判断したようだ。2001年『君子山の約束』をきっかけとしてNL系の人々が制度圏政治への進出を決心し、民主労働党に入党した。しかし、金正恩の目には今後韓国内の親北朝鮮・在野勢力が政権を握る可能性はなく、連邦制統一は不可能だと判断したようだ。それに加え、北朝鮮体制の安定という意味で、『二つの国』に明確に線を引くべきだと考えたとみられる。韓国から流入する思想を抑制する根拠が必要だったのではないかと思う」

―韓国国内で二国論の主張は続くか。

 「韓国国内で二国論の主張はごく少数だった。一部の関係者がコラムを書いたが、反響は大きくなかった。しかし、任元室長の発言でこの問題が政界に入ってきた。北朝鮮も韓国の世論を見ながら、政界や他のチャンネルを通じ、自分たちの主張を展開し続けると思う。核兵器保有を既成事実化し、韓国との関係も今回いったん整理するという意図と見るべきだ。北朝鮮はひとたび事業を始めると大規模にやる」

―韓国国内のNL系統一運動陣営はどうなると思うか。

 「1953年に休戦協定が締結され、(韓国南部の)智異山に残ったパルチザンがそうだったように、『下山』するしかないのではないか」

朴秀纘(パク・スチャン)記者

【写真】1989年に訪朝を終えて板門店から帰還した林秀卿氏と文奎鉉神父

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  • ▲市民団体「キル(道)」の閔庚宇代表/コ・ウンホ記者
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