「それでもわれらはまた一日を生きていく」 厳しい暮らしに耐えた朝鮮人女工たちの歌

 朝鮮人かつ女性、移住労働者として三重の差別に直面した女工たちの生きざまを多層的に見つめている。ややもすると反日感情に訴えることになりやすい素材であるにもかかわらず、抑制された言葉で、あるがままの事実を淡々と伝える。手数料名目で女工たちのお金を横取りし、性的搾取や暴力をためらわない朝鮮人団体「相愛会」や、解雇された日本人同僚のためにストに乗り出す朝鮮人女工たちの物語も共に取り上げた。イ監督は「朝鮮人女工を研究した日本の歴史学者たちを訪ねたとき、『私を訪ねてくれる人をずっと待っていた』と言っていた。過去を隠さずあらわにするとき、変化の種になり、韓日関係を最初からやり直せるという共感帯を持って出発した」と語った。

 イ・ウォンシク監督は映画『四月の雪』『ハピネス』などのシナリオを書き、脱北者のシングルマザーが主人公の映画『北から来た旅行者』や、キリスト教映画『最愛の君~世界でたった一人の味方~』などの演出を手掛けた。大阪出張で偶然、赤い塀に打ち込まれた古い十字架を見たことがこの映画の始まりになった。調べてみるとそこは寺田紡績の工場で、十字架は、朝鮮人女工たちが逃げられないように金網を張っていた支持台だった。

 タイトルは、在日韓国人の作家・金賛汀(キム・チャンジョン)が書いた同タイトルの本から取った。1970-80年代に自らの足で資料や証言を集めた同書には、女工たちが、一日のつらい日課を歌に歌っていたいた記録が残っている。「さあ、われら女工よ、きょうの日課を言ってみよう」で始まる歌は「それでもわれらはまた一日を生きていく」で終わる。イ監督は「厳しい時期を克服した朝鮮人女工たちは、家族を守って代を重ね、粘り強く生き残った。歴史の被害者ではなく、生きることに対する意志で苦難の時代を貫いた勝者、という観点で映画を作りたかった」と語った。

■朝鮮人女工関連の記録(1913年12月26日付大阪朝日新聞)

 「大阪地域の紡績会社では、朝鮮の女子を大勢使っている。(中略)内地の女子と比べると柔順で勤勉で、何より男子に夢中になることがないのが大きな利点だ。今年6月、募集者を慶尚南道晋州に出張させて連れてきた。14歳の女子から27歳までいる」

ペク・スジン記者

【Photo】ナレーター・俳優としても出演したカン・ハナさん

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