「1989年6月、天安門広場では誰よりも先にデモを行いました。(中国人民解放軍の)戦車が襲いかかってきた時、最後までその場にいたのが私でした。あの時自由と民主主義を支持する多くの中国人がデモに参加するという驚くべき光景を目撃しました」
中国で天安門事件が起こって35年を迎えた6月4日午前、米連邦議会下院議員会館のワシントン、レイバン・ビルで天安門事件の主役の一人だった周鋒鎖氏(56)が固い表情でこのように語った。米国連邦議会・行政府委員会(CECC)は同日、中国共産党による人権弾圧に反対する周鋒鎖氏ら中国の活動家を招待し聴聞会を開催した。
中国の人権問題を監視するため米議会上院・下院の民主・共和両党の議員らが2000年に超党派でCECCを発足させた。CECCは米国で今も政府の対中政策に大きな影響力を持つ。米中対立が経済や安全保障などさまざまな方面に広がる中、人権問題で中国に圧力を加える狙いがあるようだ。
かつて中国国内で民主化を要求する学生デモの弾圧に反対していた胡耀邦・元共産党総書記が1989年4月に死亡した際、その追悼集会が広がり天安門事件につながっていった。1989年6月4日、中国政府は北京の天安門広場とその周辺で民主化を叫ぶ学生や市民によるデモを軍隊を使って弾圧し、その際に多くのデモ参加者が犠牲になった。
当時北京の清華大学で物理学を専攻する学生だった周鋒鎖氏は天安門事件後、中国共産党から執拗(しつよう)に追跡を受けたという。周鋒鎖氏が聴聞会で証言した。周鋒鎖氏は共産党による指名手配対象5位とされ、後に米国に亡命し、現在米国の人権団体「チャイナ・ヒューマン・ライツ」の常任理事を務めている。周鋒鎖氏は聴聞会で「中国共産党は国内での検閲や残忍な弾圧により虐殺の記憶を消し去る方法を選んだ」「言論の自由に対する統制を強化し、起こった事件について口にすることを禁じ、今や中国の若者の多くは(当時の状況を)聞いたこともないほどだ」と訴えた。
周鋒鎖氏は「(米国に亡命した後の)2022年、約50人の若者と共に中国共産党を非難するポスターを持ってニューヨークのマンハッタンでハロウィーン・パレードに参加した。私は参加者で唯一年を取っていたが、しばらくすると中国で大規模な『白紙デモ』を組織した学生たちを見た」と証言した。白紙デモは2022年11月に中国のゼロコロナ政策への反発から上海で始まり、全国規模の反政府活動に広がった。周鋒鎖氏は「参加した若い人たちの一部が(35年前の)天安門事件当事者の子供たちだと知った」「1989年に天安門広場で私が手にした自由のたいまつをついに若い世代が受け継いでくれた」と述べた。周鋒鎖氏の話を聞き聴衆の一部は涙を流した。