全ての肖像画がこういうものではないが、一部の肖像画はこのようにも描かれる。そして大衆の前に広く公開される。チャールズ3世の新たな肖像画は6月14日までロンドンのフィリップ・モールド・ギャラリー、その後は金融地区シティ・オブ・ロンドンのドレイパーズ・ホールに展示される。ワシントンの都心にあるナショナル・ポートレート・ギャラリーには、歴代の米国大統領に光を当てる常設展示室が別に設けられている。クリントンの肖像画に付いた説明には「2度目の任期は、ホワイトハウスのインターンとの性的接触に関する偽証をはじめスキャンダルにまみれた」という内容も含まれているという。
韓国の大統領の肖像画はどうなのかと思って検索してみると、大韓民国歴史博物館の記事が出て来た。文在寅(ムン・ジェイン)政権時代に博物館で「歴代大統領」コーナーに朴槿恵(パク・クンヘ)前大統領の肖像画を掲げず、朴大統領のコーナー自体を無くしてしまったという話だった。絵自体は話題になっていない。絵を道具化する偏狭さが論争になっているだけだ。
青瓦台(旧韓国大統領府)の世宗室にも歴代の韓国大統領の肖像画が掲げられている。誰も入ることができなかった空間が開放され、誰でも絵を見られるようになったのだから、喜ばしいことだ。ただ、絵の背景も構図も似たり寄ったりな点は惜しい。絵画的表現の差はあるかもしれないが、大胆な想像は見いだし難い。
韓国でももっと自由に、そしてもっと広く展示するのはどうだろうか。「人のカーテン」に囲まれた指導者たちが自らを振り返る小さなきっかけにはなるのではないか。自分の顔に責任を持つのは並大抵のことではない。だから、この「自撮り」の時代に、指導者の肖像画を描くのかもしれない。少なくとも、その理由が「この画像でなければ子孫が何に依拠して先王の顔を見るだろうか」(世宗実録)と言っていた朝鮮王朝時代のように、大統領の目鼻立ち、顔立ちを後世に示すためではないだろう。
チェ・ミンギ記者