5月17日に出版された文在寅(ムン・ジェイン)前大統領の回顧録『辺境から中心へ』の内容に関する論争が続いている。外交・安全保障回顧録を旗印としたが、当時渡したUSBメモリーに何が入っていたのかなどは全く言及しなかった。論争があった他の主な事案についても触れなかったり、不利な部分には言及しなかったりしているとの指摘がある。
【写真】USBメモリーには何が入っていたの? 板門店で対話を交わす文在寅大統領と金正恩総書記(2018年4月27日)
■対北ビラ禁止法論争に言及せず「水準が低劣」
文・前大統領は回顧録で、北朝鮮の人権に関連して「われわれとしては人権規範を尊重するが、だからといって一様に糾弾の隊列に立ったら、たちまち南北関係に悪影響を及ぼすことになる」と記した。また「南北関係が困難になれば、それだけ北朝鮮住民の生活が困難になるのだから、政治的自由に先立って北朝鮮住民の生存権を重視する立場から考えれば、ひたすらそういうふうにするということはできない立場」だとした。
だが「北朝鮮住民の生存権」を重視するという立場から見ると、文在寅政権が2019年11月に、亡命の意思を明らかにした脱北漁民2人を強制的に北朝鮮へ送還したのは納得できないことだという指摘がある。国際社会の「強制送還禁止」原則に反し、米国議会などからの国際的批判を呼び起こしたこの事件について、文・前大統領は回顧録で何ら言及しなかった。
2020年6月、北朝鮮の金正恩国務委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)氏が「ごみどもの茶番劇をやめさせる法律でも作れ」と要求した後に制定された「対北ビラ禁止法」についても、文・前大統領は言及しなかった。この法律は国連をはじめ国際社会の懸念を集め、最終的に憲法裁判所から違憲判決が出た。
文・前大統領は「コロナの時期には、北朝鮮が(中略)ビラや風船の中の品物がコロナの病原菌を波及させる手段になりかねないという恐怖心が強く、いっそう激高する反応を見せた」と、北朝鮮側の立場ばかりを説明した。また「低劣な対北ビラはわれわれ自身に恥をかかせる」とも記した。
■西海公務員殺害放置、「北に連絡するルートはなかった」?
文・前大統領は回顧録で、2020年9月に西海を漂流していた海洋水産部(省に相当。以下同じ)公務員イ・デジュンさんが北朝鮮軍に殺害された事件を「西海公務員殺害事件」と呼びつつ、南北連絡チャンネルが断絶していて防ぐ方法はなかった、という形で記述した。文・前大統領は「事件当時、北朝鮮に連絡するルートがなく、国際商船通信網を利用するしかなかった」「もし連絡網が稼働していたら、何か努力してみることができたはずだが、打てる手はなかった」とも記した。イさんを射殺して遺体を焼いた北朝鮮に対する批判はない。
当時の徐薫(ソ・フン)大統領府国家安保室長は、イさんが行方不明になった事実を隠蔽(いんぺい)して「越北」だと決め付けようとした容疑で身柄を拘束され、裁判にかけられている。検察の起訴状や監査院の報告書によると、徐室長は事件当初、これを外交部・統一部に知らせないようにして、イさんが殺害された後も「南北関係にも極めて良くない影響を及ぼす事件」だとして保安の維持を指示した。また、イさんの失踪を「越北」と決め付けるように指示した疑いも持たれている。こうした一連の過程は、当時の文大統領の国連総会演説に支障を来すことを防ぐためだった-という疑惑が持たれている状況だ。文・前大統領は、こうした部分に回顧録で全く言及しなかった。イさんが死亡したことへの遺憾や慰労、政府の措置に対する反省なども記されていない。