プロレスは1960年代から70年代にかけ韓国でも国民的な人気を集めたが、その後は今に至るまで低迷が続いている。韓国では1980年代以降は球技、2000年代からはフルコンタクトの総合格闘技がより多くの人気を集めた。プロレスは頭突きで有名な金一(キム・イル)=大木金太郎=やスーパードラゴン李王杓(イ・ワンピョ)の後は看板スターがいなくなった。現在韓国国内のプロレスラーは智異山のツキノワグマより少ない約50人。TAJIRIは「率直に言って韓国のマーケットはまだ何も評価できないのが現状」と語る一方で「だからこそ再び立ち上げるチャンスがあります。私はもう米国や日本でやるべきことは全てやりました。大きな団体にはこれ以上興味がありません。近くの韓国でプロレスの本質について考えたいと思っていました。マニアでなくても誰でも楽しめる娯楽です」と語る。この日TAJIRIはPWSと正式に契約を結んだ。今後は定期的に指導を行うと同時に、所属する九州プロレスリングの選手も引き連れ交流や試合を行うことにした。
■プロレスにおける韓日交流の新たなステージ
TAJIRIは昨年5月、故・金一の追悼試合以来16年ぶりに韓国に招待されリングに上がった。韓国と日本の四つの団体が協力し、ソウル市内の漢城大学体育館で試合が開催された。普段からファンであることを公言してきたケインのユーチューブ番組も参加し、試合後にはファンと交流する場も設けた。TAJIRIは「あの時のファンの熱気から再興業が成功する兆しが見えた」と期待を示した。相手が鉄のはしごに上った時にこれを倒し、3段ロープに上ってバク転しダイビングしながら頭突きを食らわせ、直後に握手のため手を差し出したかと思えば即座に後頭部を蹴り上げ相手を気絶させた。このようにさまざまなパフォーマンスのたびに一本のマダン劇のように大きな歓声が起こった。TAJIRIはヒールたちの攻撃に対して「グリーンミスト」をさく裂させ、最後はチャンピオンベルトを手にした。