市民意識や政治文化の責任もある。歩道に面した店が公共の歩道を無断で侵犯するケースは至る所で見られるし、違法な広告物が通行を妨げるケースも日常茶飯事だ。ボラード(車両侵入防止用のポール)を破壊してまで歩道上に車を止める違法駐停車も蔓延しているが、地方自治体の取り締まりはあってないようなものだ。選挙を意識しているからだ。そのためボラードも実際に効果があるのか微妙なケースが多い。このように、韓国の歩道には地雷や暗礁、伏兵が至る所に潜んでいる。道路関連の政策を担当する役人たちは、つえをつきながら、または車いすに乗りながら、あるいはベビーカーを押しながら、このような歩道を一度でも歩いたことがあるのだろうか?
ソウル市は今年10月「ソウル観光インフラ総合計画」の細部案を発表した。西村や益善洞(いずれも鍾路区)など都心の観光地の歩行者用通路を大幅に改善するという目標も含まれてはいるが、主な事業内容は換気口や電柱、公衆電話のブースなどの位置調整や地中化、喫煙ブースやごみ箱の設置などとなっている。ソウル市が歩行環境に目を向けたことはもちろん歓迎すべきことだ。しかし、それが外国人対象の観光インフラ増進という観点から論議されたということはかなり残念だ。いわゆる「歩きやすい都市」の恩恵や魅力は、そこに住む市民が真っ先に享受すべきではないのか? 最近、市内各所でさまざまな名目の「歩行者専用路」を設置する取り組みが見られるが、それにも首をひねりたくなる。歩行者のために作った道が歩きやすくなるというのは常識や原則にすぎないわけで、今更特別に強調すべきこととはとても思えない。
歩行環境は先進国と開発途上国を分ける尺度の一つだ。先進国では、歩道の敷石工事でも「匠(たくみ)の精神」はいかんなく発揮される。西欧には土木に芸術を融合させるという伝統的な建築文化があるからだが、言うなれば「神は細部に宿る」と信じる職業的召命感の勝利だ。その結果、街の道路のほとんどには自然にインフラとアメニティー(心地よさ)が同時に備わっている。また、現在は徒歩15分で基本的な生活が完結する「日常生活圏」が徐々に重要になっている。これは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)をきっかけに、世界的に注目を集めるようになった「15分都市」の概念だ。生活必需品の買い物や外食、学習塾、病院、趣味、レジャーといった日常的な消費活動はできるだけ歩いて行ける範囲で完結させよう、というものだ。こうした観点からも、韓国の「歩きにくい都市」は、目先の苦情や対外的な恥ずかしさを解決するという次元ではなく、歩行者にやさしい未来都市を目指すという意味でもこれ以上放置することはできない。
全相仁(チョン・サンイン)ソウル大名誉教授(社会学)