「軍需品としての同志」…私は日本の責任を明瞭に問いただした【朴裕河教授寄稿】

朴裕河教授の反論-金潤徳記者の批判に答える

 私はひたすら、挺対協の作った慰安婦証言集が示す通り、植民地での構造的強制性はあったが、いわゆる強制連行は日本軍の「公的」方針ではなかったと述べただけだ。刊行後から告発直前までの10カ月間、大部分のメディアが好意的に受け止めていたのは、私の執筆動機と文章の含意をあるがまま理解したからだろう。10年以上の歳月が流れた後、大法院判決もまた『帝国の慰安婦』の趣旨は「『慰安婦の自発性』『強制連行の否認』『同志的関係』とは隔たりがある」と語った。

 それにもかかわらず、金記者が極右の論理を後押しする本として読んだのは、本の趣旨と脈絡を無視した結果だ。金記者と全く同じように受け止めた支援団体が、著書のもう一つの中心だった自分たちに対する批判は隠蔽(いんぺい)し、全く同じ言葉で訴訟を起こしたせいで、『帝国の慰安婦』は実に9年4カ月も法廷に閉じ込められねばならなかった。私自身と国が共にそうして消耗した。

 私は「国家責任を問うのは難しい」ではなく「国家責任を『法的』に問うのは難しい」と書いた。女性たちは男性たちと違い、法の外で動員されたからだ。それは近代国家の女性差別の結果だと日本を批判した。私は単に、国家責任を、既存の主張とは違う方式で問いただしただけだ。

 「業者」の存在を強調する理由は、慰安婦問題が、中間階級による下層階級の搾取問題でもあることを示すためだった。そうした指摘が日本の国家責任を希釈するわけではないことは、過去について反省的な朝日新聞や毎日新聞が「帝国の責任」を問う本として『帝国の慰安婦』を高く評価してくれた事実が証明している。

 従って、慰安婦被害者らを憤怒させたのは私ではなく、私の本を歪曲してハルモニ(おばあさん)たちに伝えた人々だ。私の著書が安倍政権と日本の極右の論理を正当化することに寄与した、と10年近く主張してきた支援団体と一寸も違わぬ金記者のコラムもまたそうだろう。だが、慰安婦に侮辱と蔑視が降り注いだとしたら、それは『帝国の慰安婦』のせいではない。自分たちの既存の主張を守るために私の著書を勝手に解釈/非難/伝播(でんぱ)した「誤読する読者」らのせいだ。そんな読者の誤読は、著者の責任ではあり得ない。

 学問とは、既存の定説を批判しつつ前に進んでいくものだ。従って、30年以上も主流だったという事実が、そのまま既存の運動家や学者らの主張の正しさを証明するわけではない。実際に、私とさほど違わない視点で既存の研究を批判している研究も、最近では出てきつつある。元挺対協代表だった鄭鎮星(チョン・ジンソン)教授すら、強制連行とは異なる認識を反映した報告書をかつて発刊している。金記者がその事実を知らなかったのは、彼らがその事実を対外的には語らなかったからだ。

 朝鮮人慰安婦問題は強制連行であって違法だとして法的責任にばかり執着してきた挺対協の運動家や主流学者らは、韓日合意を『帝国の慰安婦』が導き出したとして非難した。誰のための和解だったのかは、そこから答えを探してもらいたい。告発の直後、告発者の周辺の人々が「日本語版も絶版にすべき」と主張していた理由でもあるだろう。

朴裕河・世宗大学名誉教授

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