韓国で選挙の度に浮上する新党論…二大政党の前では「コップの中の嵐」

 過去に韓国政界では総選挙や大統領選といった大きな選挙を前に、ほぼ毎回「二大政党の構図を打破し、政治変化を主導する」という第3極の新党論が噴出した。政界に対する国民の不満が大きいほど、既存の二大政党に挑戦するという新党は大きな可能性を持つと考えられた。中には一部の成功した事例もあったが、現在韓国政界が国民の力と共に民主党に二分されている構図からも分かるように、新党の多くは跡形もなく歴史の中に消えていった。一時的に関心を集め、議論の段階でうやむやになったケースもあった。

【図】過去に結党された主な新党とその消滅過程

 専門家は新党の成功条件として、▲二大政党に対する国民的疲労感▲大統領選候補並みの求心力▲強固な地域基盤▲斬新な政治勢力の参加--などを挙げる。しかし、そうした条件を全て満たすことは容易ではなく、満たせたとしても既存の二大政党が選挙を前に刷新競争を始めると、新党の生存空間は限られたものにならざるを得ない。 

 近年の総選挙で「二大政党打破」を掲げて登場した新党のうち、院内交渉団体(20議席以上)としての条件を満たし、比較的成功したと評されたのは、1992年総選挙で故鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ会長が率いた統一国民党(31議席)、96年総選挙で故金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相が率いた自由民主連合(50議席)、2016年総選挙で安哲秀(アン・チョルス)国会議員が率いた国民の党(38議席)ぐらいだ。

 いずれも看板となる大統領候補を中心として、湖南(全羅道)、忠清道など強固な地域基盤を備えているという共通点があった。しかし、第3勢力として評価されていた新党でさえ、事実上の個人技で党を率いた大統領候補たちが大統領選で落選すると、やがて消滅した。

 やはり第3勢力の候補として大統領選に挑戦した文国現(ムン・グクヒョン)代表の創造韓国党が08年総選挙で3議席にとどまるなど、ある程度の「政治的大物」が党の看板を務めない限り、新党の成功可能性はより低くなる。1992年大統領選に出馬した朴燦鐘(パク・チャンジョン)氏、97年大統領選に出馬した李仁済(イ・インジェ)氏はいずれも第3勢力として旋風を巻き起こしたが、斬新な政治勢力の結集に失敗し、彼らが結党した「大統領選用新党」は全て既存政党に吸収された。

前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連ニュース
関連フォト
1 / 1

left

  • ▲2016年1月10日にソウル市鍾路区の世宗文化会館で行われた国民の党(仮称)結党発起人大会/朝鮮DB
  • 韓国で選挙の度に浮上する新党論…二大政党の前では「コップの中の嵐」

right

あわせて読みたい