「福島原発汚染水デマを扇動した李在明と86グループ、知的能力は韓国政治史上最低」(下)

-ソウル大学医予科に入学したのに中退して国史学科に入り直し、ご両親は大いに失望されたと。

 「母は他界するときも『なぜ医学部をやめたのか』と恨んでいた」

-なぜ国史学科だったのか。

 「小学校のころラジオで聞いたベトナム敗亡ニュース、先生方が聞かせてくれた4・19革命(1960年、李承晩〈イ・スンマン〉大統領を退陣させた運動)についての記憶が鮮明だった。医学部が嫌いというより、歴史、哲学の勉強をしたかった」

-学生運動界と決別した後、数学の講師になった。

 「学窓時代、数学が一番得意だった。国家保安法で2回監獄に入れられていたときも、数学の問題を解いていた(笑)。教育革新企業をやりたかったが、事業の手腕がないので駄目だった。勉強する頭と事業をする頭は全く別物らしい」

-「民主化運動同志会」を結成した。

 「『解放前後史の認識』が招いた反大韓民国的歴史認識からまず片付けようという考えに共感する方々が集まり、およそ500人が賛同した。私が右派に転向したのは、チョ・グクよりも、チョ・グクを盲目的に支持する人々のせいだった。『チョ・グクには一寸の誤りもなく、検察が組み上げた事件』という言葉に衝撃を受けた。韓明淑(ハン・ミョンスク)政治資金授受、金慶洙(キム・ギョンス)ドルイドキング事件も反省していない。彼らは、もはや民主勢力ではなかった」

-チョ・グクは「いっそ私を南山に連行して拷問しろ」と言っていたが。

 「私の親しい友人は、街頭闘争に出たことも火炎びんを投げたこともないのに、自分は民主闘士だったという妄想に陥って、そのころを描写しつつ怒っている。86世代には、精神科の治療が必要な人が多い」

■ミン・ギョンウ氏とは

 1965年ソウル生まれ。ソウル大学医予科に通うが中退し、国史学科に再入学した。人文学部学生会長、汎民連(祖国統一汎〈はん〉民族連合)南側本部事務処長を務め、国家保安法違反で2度拘束された。韓米FTA反対運動本部政策チーム長として狂牛病デモを主導した。『進歩の再構成』『86世代の民主主義』などを出版し、現在は数学講師として働きつつ「未来代案行動」を率いている。

金潤徳(キム・ユンドク)先任記者

▲2008年の狂牛病暴力集会…警察に向かって放水するデモ隊

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