この日の追悼式には、慶尚北道出身の犠牲者ナム・ソンギュさんの孫、クォン・ジェイクさん(66)と慶尚南道出身の犠牲者チョ・グンソクさんの遺族チョ・グァンファンさん(62)が出席した。クォンさんは「祖父が関東大震災で犠牲になった事実は、日本政府でもなく韓国政府でもなく、私が自分で、朝鮮総督府の管理下で作られた文書で見つけた」とし「大正12年9月5日午後9時、群馬県多野郡藤岡警察署で死亡と記録されていた」と語った。また、別の遺族のチョさんは「100周年で終わりではない。引き続き関心を持ってほしい」と述べた。
追悼式では、20代・30代の若者の姿が多数見られた。ヤマモト・ユウさん(34)は「犠牲者は自分と同年代」とし「将来、同様の過ちを犯さないためには、若い私たちが記憶しなければならない。これから知人にも知らせたい」と語った。ヤナガワ・トモキさん(38)は「加害に加担した日本の責任について知らぬふりはできないという思いで追悼式に来た」とし「関東大震災の朝鮮人虐殺は100年前のことではなく、現在の社会にも通じる事件で、今きちんと対応しないと絶対に良い未来につながらない」と語った。
当初、主催側では120人ほどの参加を予想していた。実際にはその5倍も多い日本人や韓国人が集まった。残酷な証言の朗読が終わった木根川橋の下は、人でいっぱいだった。すぐに、亡者の送別で行う、韓国特有の祝祭の舞台が開かれた。およそ20人がケンガリ(鉦〈かね〉)とチャング(杖鼓〈じょうこ〉)を打つと、チョゴリを着た在日韓国人が舞を披露した。およそ600人の参加者も一緒になった。追悼式が開かれた荒川の草地から徒歩で3分ほどの住宅街にある「朝鮮人虐殺追悼碑」では、同日午後、追悼の歩みが途切れることはなかった。「悼」と書かれた石碑の前には多くの花と共にチャミスル、チョウンデイ、チョウムチョロム、アンドンソジュといった韓国焼酎がたくさん供えられていた。
成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長