■「『日本に謝罪しろ、金を出せ』いつまで繰り返すのか」
「韓国を恨んだことはないのですか」と尋ねると、張本さんは「プロ野球選手というのはみんな、やじを飛ばされるものです。それを『韓国人だからやじられる』と言ってとがめたりはしません」と答えた。ところが、「だが、恨んだことはあるにはあります」と言って、全く違う話を切り出した。「言ったら大変なことになるから誰も言わないけど、私は日本人ではなく在日韓国人だから、(韓国は)私の祖国だから言いますね。いつまで日本に『謝罪しろ』『金を出せ』と繰り返さなければならないのですか? 恥ずかしいです。当時は弱肉強食の時代で、韓国は弱かったから国を奪われました。絶対あのようにやられてはいけなかったのに…。これからは韓国もプライド(自負心)を持って日本と対等に手を取り合い、隣国としてやっていけばいいのではないでしょうか」。
さらに、「(反日などと)そんなことを言う人たち、いい加減にしてほしいですね」「文在寅(ムン・ジェイン)前大統領が隣国(日本)を敵に回した時、私たち在日韓国人はとてもつらかったです。その分、今、韓日関係の雪解けを進めてくれている尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領には感謝しています」と語った。「尹さん(尹大統領に対する日本式の尊称)はやはり格好いいところがあります。韓半島(朝鮮半島)の真の男です」「日本の岸田文雄首相も歴史問題について『心が痛む』と言いました。『謝罪する』という言葉は使いませんでしたが、(在日韓国人の)私には理解できます」と話した。
そして、張本さんは「60歳までは(原爆の)惨状を展示した広島平和記念資料館に一度も行けませんでした。2回ほど資料館の入口までは行きましたが、手が震えて入れませんでした」と打ち明けた。「初めて資料館に行った時、小学生がはくサイズくらいの小さなスカートを見て、『こんなに小さな子も死んだんだ』と涙がこぼれましたが…」と言いかけて言葉に詰まった。それでも、泣き声まじりに語り続けた。「館員がそばに来て、『高校3年生の服です』と言いました。被爆すると人もこんなに小さくなるのだろうと思うと、涙がこみ上げました」。また、北朝鮮の核挑発行動については「私は政治のことはよく分かりませんが、戦争は体験しているからよく知っています」と言った。「広島では20万人が亡くなりました。お互い話し合って問題を解決するから人間なのではないでしょうか。私たちは獣ではないでしょう? どんなことがあっても、戦争だけはダメなんです」
成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長