「原爆で姉を亡くした…韓日首脳の慰霊碑訪問決断に感謝」 被爆者で日本球界のレジェンド、張本勲さんインタビュー(上)

 「真夏で蒸し暑かった1945年8月6日、当時5歳だった私が友達と外に遊びに行こうとしていたところ、『ピカッ、ドン』という音がしました。気を失った後、目を開けたら、母が私をギュッと抱きしめていました。ガラスの破片が突き刺さった母のチマチョゴリ(韓服)は血で赤く染まっていました」

【写真】韓国に一時帰国した張本勲さんと、母親の朴順分さん(1977年1月の本紙インタビューにて)

 10日、在日韓国人2世の元プロ野球選手、張本勲さん=韓国名:張勲(チャン・フン、82)=は広島に米国の原子爆弾が落ちた瞬間を語りながら、何度も涙ぐんだ。80歳を過ぎても、78年前の記憶が生々しくよみがえるようだった。張本さんは「その日は避難して、町の畑に行きましたが、ひどいやけどを負って皮膚が焦げた人だらけでした。ひどいにおいも覚えています」と話した。

 張本さんは日本プロ野球界で23年間にわたり活躍し、3085安打・504本塁打を記録したスター選手。日本プロ野球の殿堂入りを果たしているが、韓国国籍者だ。太平洋戦争末期の1945年8月6日午前8時15分、米軍が広島に投下した原爆で生き残った被爆者でもある。

 尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と日本の岸田文雄首相は7日の韓日首脳会談で、G7広島サミット(第49回先進国首脳会議、5月19日-21日)に合わせ、広島平和記念公園にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れることで合意した。被爆者であり、日本で自ら韓国人であることを公表して生きてきた張本さんが、両国首脳の慰霊碑訪問に対して抱く感慨はひとしおだ。「新型コロナのことで対面は難しいです」という張本さんは電話インタビューに応じてくださった。インタビューでこのニュースについて尋ねると、「お二人には感謝しかありません」「もう(訪問する姿が)ありありと目に浮かんでいます。戦後初めてですよね? 私も、私の家族も、在日同胞たちもみんな、韓国人原爆被害者慰霊碑に行きます。うちの(=在日同胞の)おじいさん、おばあさん、おじさんたちがみんなそこに眠っているからね。慰霊碑の前に立つたびに、心の奥底では「お金を稼ぐために遠いよその国まで来ていなかったら…」という思いもありますが、これもすべて人生だということではないでしょうか」と答えた。

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  • ▲2018年5月30日、記念の手形を取る「日本プロ野球界のレジェンド」張本勲さん。
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