21日(現地時間)、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で野球の本場・米国を破り、14年ぶりに優勝した「侍ジャパン(野球日本代表)」の選手たちは栗山英樹監督(61)を10回も胴上げした。
日本のメディアでは同監督を大谷翔平の「二刀流」になぞらえて「栗山流」と呼んでいる。 これは決勝戦で5回から毎回投手を交代させる強気の手法で米国の強打線を封じた栗山監督の作戦スタイルを指す言葉ではない。「栗山流」とは「父親と公園でキャッチボールをする子ども」というコンセプトを中心にチーム全体が和を成す新しい日本式の野球文化だ。
栗山監督はWBCで1次ラウンドのチェコ戦が東日本巨大地震から12年という日に行われたことについて、「(野球解説者をしていた)2011年の大震災後に取材へ行った。無力さというか、手伝ってあげられないと感じた」「(被災者に)もし、今日の試合を見ていただいて、少しでも楽しかったり、笑顔になれたり、元気になっていただけたなら幸せ」と語った。
また、「ダルビッシュ有=サンディエゴ・パドレス=、吉田正尚=ボストン・レッドソックス=、ラーズ・ヌートバー=セントルイス・カージナルス=など異なる環境で成長した選手たちはWBCの舞台で、子どものころのように愉快に笑って野球をした。そのころ、そうしたことがなかったら、私も監督になれなかっただろう」と振り返った。
「そのころ、そうしたこと」の始まりは1999年だ。1984年にヤクルトスワローズでプロ野球選手デビューした栗山氏だが、1985年に平衡感覚を失う難病「メニエール病」にかかり、1990年には28歳という若さでユニホームを脱いだ。
野球人生で大きな挫折を味わった栗山氏は、北海道のある栗山町という町で暮らすようになった。東京出身の栗山氏が同町で暮らすことになったのは、名字が同じだという理由からだった。同町の青年会議所が、町の名前と同氏の名字が同じであることに着目し、1999年に観光大使を依頼したのがきっかけだ。
30代後半になった元プロ野球選手は町民たちに会った場で、心を開いて自分の夢について語った。ケビン・コスナー主演映画『フィールド・オブ・ドリームス』のような天然芝の野球場を作りたいというものだった。『フィールド・オブ・ドリームス』は主人公がトウモロコシ畑をつぶして野球場を作ると、かつて米大リーガーを目指していた若かりしころの父親の魂が戻ってくるというストーリーだ。