-2007年の『竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』を巡る論争が、『犠牲者意識民族主義』を考えるきっかけになったと書いた。
「日本帝国主義の犠牲者は自分たち韓国人なのに、その韓国人が加害者として登場する『竹林はるか遠く』には当惑して当然。同書が日帝植民支配という流れを取り除き、民間人が敗戦後に帰還する中で直面した受難のみを記している点は問題だ。だが『竹林はるか遠く』をフェイクだと追い立てるのはひどかった。戦後、どこでも起き得ることではないか。『韓国の民族主義はやはり止められない』という逆効果を生むだけだ」
-犠牲者意識民族主義の何が問題なのか。
「世襲的犠牲者として、自己の記憶のみ正しいと信じ、相手の記憶は排除する。個人の行為に関係なく、自分の民族が犠牲者なのだからと『集合的無罪』を主張して免責を受ける。イェドバブネのユダヤ人虐殺の主犯だったラウダンスキ3兄弟がそうだった。彼らは、ナチス占領軍が虐殺の主犯であって、ソ連占領・共産政権当時は『ユダヤ人のアカ』がポーランド人を弾圧した、と言い逃れをした」
1941年7月10日、およそ3000人が暮らすポーランドの小さな村イェドバブネで、ユダヤ人1600人がポーランド人の隣人によって虐殺された。虐殺の主犯ラウダンスキ兄弟は、それぞれ15年と12年の懲役刑を言い渡された。