まだ高校生だった2005年、「水準別教室」という制度が学校に初めて登場した。数学・英語の科目で、1年の内申の成績上位50%を「実力クラス」、下位50%を「努力クラス」と名付けて別々に集め、授業を行った。「オーダーメード型の教育」を試みたわけだが、数百人の生徒のうち半数は劣等生のレッテルを貼られてしまい、私教育への依存度は全く解消しなかった。
当時、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は公教育の強化策として「修能等級制」を打ち出した。大学修学能力試験(修能。大学入学共通テストに相当)の成績が標準点数なしに等級のみで出てきて、相対的に内申が重要になった。1989年生まれの生徒の間で「内申を一度でも駄目にしたら名門大学への進学は永遠にお流れ」という恐怖感が醸成され、内申専門塾が生まれた。かといって大学入試に修能や論述が全く反映されないわけでもなく、総合塾も論述塾もよい商売だった。「死のトライアングル」という単語が流行したのもこのころだ。
公教育を生かすと称して入試制度にメスを入れる旧態は、政権が変わるたびに繰り返されてきた。しかし公教育が主導権を取り戻したことはない。入試制度を複雑にするだけだった。勉強がよくできる生徒も、そうでない生徒も、答えは私教育で探した。私教育が入試政策にふさわしい人材像を商品のようにつくり出している間に、2019年基準で韓国の私教育費の規模は21兆ウォン(現在のレートで約2兆700億円。以下同じ)にまで膨れ上がった。