しかし残念なことに、問題は実力だった。検察という鉄壁のエリート集団を改革すると言いながら、秘蔵の戦略一つなかった。憲政史上初の検察総長(日本の検事総長)懲戒を押し通したが、自らの法理と手続きに無知だということを露呈しただけだった。説得と調整ではなく、扇動と世論形成に頼った「血の粛清」を続け、その剣で自分自身の首も切られた形だ。一国の法務部長官が「単独ドリブルでシュートしたら味方のゴールだった」という世間の笑い話になった。
全在姫氏は「政治は長くするよりも、正しくすることの方が重要だ。それこそが『大きな政治』だ」と言った。そして、「女性公職者としての私が失敗を犯したら、全在姫の失敗ではなく、女性の失敗になるので、いっそう厳しく仕事をした」とも言った。だが、「ファイター」秋美愛氏は正反対だった。野望のためなら権力の行動隊長役も辞さなかった。失敗した男性リーダーシップの典型的な「徒党政治」「報復政治」を楽しんだ。よりによって勢力だと考えたのは、入試不正一家をゴルゴタの丘のイエス・キリストとあがめる狂信徒集団だ。その見返りにジャンヌ・ダルクならぬ「秋ダルク」25年の政治人生が今、「粉々になっている」ところだ。
キム・ユンドク週末ニュース部長