全在姫氏のリーダーシップの土台は、挑戦の連続だった40年間の公職生活、そして貧困だった。中学時代から家庭教師をして授業料を稼ぎ、地方大学出身の女性が自力で職業に就く道は公務員試験しかないという判断から行政考試に挑戦、史上初の女性合格者となった。労働部(現・雇用労働部)で20年間奔走したことが政治的資産になった。九老工業団地の女性工員たち、産業体付設学校(工場に付設された中学・高校)の生徒ら弱者たちのための政策を作ろうと懸命に働いた。長官を務めていた時は少子化、無償保育、営利医療法人など山積する課題と闘うため、政治的野心を抱く暇がなかったという。
結局、総選挙で新人の李彦周(イ・オンジュ)氏に破れた全在姫氏は政界を引退することになるが、その時、次のように語った。「性格上、まきの火が燃えて白い灰になるまで働いたが、『大きな政治』ができずに終わったという無念さはある。勢力を作る政治をできずに一人離れて孤島政治をしたのが私の限界だった」。
そう考えてみると、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官は、全在姫氏ができなかった「勢力の政治」に大権(国の最高統治権者の権限)の野望まで燃やしている「大きな政治家」だ。肝が据わった性格で、「大義」のためには三歩一拝(三歩進む事に一拝すること)も、怒号も暴言もはばからない度胸や闘志が、大邱のクリーニング屋の次女を5期当選の国会議員にし、ひいては党代表にまで育て上げたのだ。