【コラム】全体主義国家でしかあり得なさそうな出来事

独裁体制は家庭・人倫を破壊…防疫を絶対価値であるかのように振りかざす
自己隔離違反した親を通報した女子中学生も…政治防疫、ひどい世の中を作ろうとしているのか

 「泥棒ではなく殺人者です、殺人者。この集会の主導者たちは!」

 盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長が今月4日に目をむきながら叫ぶ姿をテレビで見て、ソ連のパブリク・モロゾフと中国の紅衛兵チャン・フンビン、脱北者の申東赫(シン・ドンヒョク)、そして釜山のある女子中学生のことを思い出した。「これらの少年・少女たちはこうしたムードの中で人倫に背くことをしたのだな」と。

 1932年のスターリン時代、ソ連共産党は農民たちの収穫物を厳しく収奪した。農民は生きていくために自分たちの食糧を隠した。共産党はそうした農民たちを「ソビエトの敵」と規定して通報するよう奨励した。モロゾフの父親は村のソビエト(評議会)議長だったが、家族を養うためには仕方なくそうしていたようだ。13歳のモロゾフは父親を政治警察(GPU)に通報した。父親は労働収容所に送られ、処刑された。激怒したモロゾフの祖父と祖母、叔父、いとこは彼を殺害した。政治警察はモロゾフを殺害した親族のうち、叔父を除く全員を銃殺した。

 1970年に文化革命の嵐が吹き荒れた時、16歳の紅衛兵チャン・フンビンは母親パン・ジュンモウを「反革命罪」で告発した。母親の手帳から「高貴な者が最も愚鈍で、卑しい者が最も賢い」という文言を発見したのが発端だった。チャン・フンビンは「偉大な指導者・毛沢東主席をさげすむのか」と真顔で母親を批判し、口論の末、母を通報した。トラックに載せられて連れて行かれたパン・ジュンモウは2カ月もたたないうちに処刑された。

 申東赫は北朝鮮の政治犯収容所に収容された経験のある脱北者だ。家族が収容されていた場所が14号収容所なのか18号収容所なのか証言が変わって騒動になったが、14歳の時に母親と兄の脱走企図を看守に通報したという証言だけは変えなかった。母親と兄は6カ月後に公開処刑された。

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  • ▲(日本による植民地支配からの解放を記念する)光復節だった8月15日、ソウル市鍾路区の東和免税店前で行われた「文在寅(ムン・ジェイン)政権糾弾集会」の様子。野党・国民の力の朴大出(パク・デチュル)議員が今月4日の青瓦台国政監査でこの写真を見せると、盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長は「光化門集会の主導者たちは殺人者」と言った。写真=聯合ニュース

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