「民族とは想像された共同体」(imagined community)という主張がある。「民族が民族主義をつくったのではなく、民族主義が民族をつくった」というのだ。血統と言語を共有する5000年の白衣民族を誇る韓国人には驚くべきことのように聞こえる。長期にわたって持続した血統、言語、文化の上に建設された韓国民族主義と、近代の産物である西洋民族主義を平面的に比較するのは難しい。しかし、民族主義が民族を呼び起こすというのは明白な事実だ。檀君神話は、モンゴルの侵略に苦しんだ高麗末期に登場したものだが、これが韓民族のルーツとされている。偉大な韓民族の上古史をつづった偽書『桓檀古記』は日本の植民地時代に「発見」される。「趙廷来氏の行動」は民族と民族主義が歴史的に再構成された政治談論であることを立証している。
北朝鮮問題も感性的な民族主義が主流となっている。北朝鮮労働党創建75周年記念閲兵式の筋肉自慢でも、文在寅政権は金正恩(キム・ジョンウン)委員長のリップサービスによって一喜一憂する。しかし、大韓民国を焦土化する北朝鮮の核兵器と「愛する韓国の同胞たち」を慰める金正恩委員長の民族主義の修辞は、正反対の概念だ。市民社会は「北朝鮮は恐るべき軍事力の拡大により韓国人の生命と財産を狙っている」という現実から目を背けている。「まさか北朝鮮が核で同族を攻撃することなどあろうものか」といった「同民族」に対する願望思考が、金正恩委員長による韓半島(朝鮮半島)統一戦略を見事なまでに覆い隠している。