■1928年の済南事件の解剖写真を「731部隊の実験」として紹介
731部隊の生体実験といわれる写真1は、1928年の済南事件で死亡した日本人を解剖する場面のものだ。同事件では蒋介石率いる国民革命軍が日本軍と衝突し、死傷者が出た。日本は死亡者を済南医院へ移して解剖した後、「済南事件邦人惨殺写真」という文書を作った。日本の防衛省防衛研究所が所蔵するこれらの写真が、731部隊の生体実験の写真にすり替わったのだ。
731部隊の資料として広く出回っている写真の中には、手術帽とマスクを着けた医療陣が手術台に載せた遺体を前にカメラの方を見ているもの(写真3)や、子どもを解剖している場面のもの(写真4)がある。これも、実際は「1910-11年に満州で流行したペストにより死亡した人々を疫学調査の観点から解剖している場面」だ。1912年に関東都督府臨時防疫部が発行した『明治四十三四年南満州「ペスト」流行誌附録写真帖』に載っている。「済南事件邦人惨殺写真」は日本の国立公文書館アジア歴史資料センターで、『ペスト写真帖』は同じく日本の国会図書館デジタルコレクションで、誰でもオンラインで見ることができる。
731部隊の凍傷生体実験と紹介された写真5、6も、実際はモンゴルに駐屯する日本軍の軍医部が行った実験だ。『極秘・駐蒙軍冬季衛生研究成績』に載っている。モンゴル内陸の草原で、極寒期に作戦を行う場合に備えて行った訓練だった。1941年1月31日から2月11日まで、大同陸軍病院の谷村一治・軍医少佐を班長とするおよそ50人が「生体8(人)を連行」して行き来する中、腹部貫通銃創を起こして止血法・手術法を研究したり、泥酔状態にさせて凍傷の発生状況を観察したりしたという。実験に動員された捕虜8人は殺害、焼却した。チェ教授のチームは「1940年代に入ると、731部隊ではない部隊でもこうした生体実験が行われたことを示している」と説明した。