文在寅(ムン・ジェイン)政権を風刺する壁新聞を張ったとして有罪判決を受けた青年は25歳だった。自分の息子よりも若い。両親は食堂を営んでいるという。彼は球技種目の選手で、地方の国立大の体育学科に通った。政治・社会問題には全く関心がなかったという。
彼が最初に世の中のことに関心を持ったのは、卒業後に義務警察として服務していた当時のことだった。チョ・グク元法務部長官を巡る問題で連日賛否双方の集会が開かれていた。
「自分は知識がさほどないが、何が正しいかは分かる。『正義』『公正』を口にして歩く人々がチョ・グク(法務部長官)候補者を擁護することがとても奇妙だった。偽善、そして自分がやれば正しいが他人がやれば間違っているという態度はとても嫌だった。現政権が青年の歓心を買おうとカネをやることは青年を依存体質にするもので、国の債務を未来世代に先送りしようとしていることも気に入らなかった」
彼はインターネット検索を通じ、「経済王・文在寅、馬車が馬を引っ張る奇跡の所得主導成長」「寄付王・文在寅、国まで寄付する太っ腹な指導者」という壁新聞を大学街に張った全国大学生代表者協議会(全大協)系の団体を知った。風刺とパロディーを使ったやり方が気に入り加入したという。
昨年8月に除隊後、彼は就職準備に入った。その間、初めて全大協の壁新聞を直接見た。4カ月後、香港の民主化が激しくなると、「救国の鋼鉄隊伍、全大協は習近平主席から書簡を下達され、全国430の大学に(壁新聞を)張れという指令を受けた」という文言で始まる壁新聞を張る機会がやってきた。