日本には「世界第1の都市」を有した歴史的経験がある。18世紀の江戸は人口100万人で、世界最大の都市だった。武士の町だったが都市生活の事実上の主人公は商人、職人、町人であるほどに、江戸は経済都市だった。荒れ地だった江戸が世界的大都市として成長できたのは、江戸幕府執権勢力の長期構想のおかげだった。大規模な水利工事と基幹インフラの構築も大きな影響を与えたが、貨幤経済の導入を通じた商業活動と市場形成の促進が特に功を奏した。
14世紀末に登場した朝鮮の首都「漢陽」も計画都市だった。しかし、漢陽の都市計画の原理は江戸のケースとは違っていた。ここで強調されたのは、風水や周礼(儒家が重視する経書=儒教の経典)に即した性理学的理想郷だった。王都だった漢陽は、社会構成の側面で両班(朝鮮王朝時代の支配階級)と奴婢(ぬひ)に二分された身分制の都市だった。都市の存在理由を孔子と孟子の道を実践するところから見いだした分、商工業は蔑視された。それくらい漢陽の支配的都市観は、良く言えば道徳的で、悪く言えば偽善的だった。漢陽は20世紀までも人口が20万人ほどにとどまっており、最終的には日本植民地時代の首都と化してしまった。
韓国も2013年に「都市再生法」を制定した。現在のソウルは「ソウル型都市再生」という名の下に、東京に負けるとも劣らない数々の事業を進めている。ところが、ソウルの都市再生は物理的な成果面で注目に値するものがあまりない。大規模な開発と建設を罪悪視する中で、理念都市の漢陽をほうふつさせる観念主義と原理主義に支配されているためだ。言ってみれば、包容・共存・公正・人間・生態といった脱物質主義なのだ。民族の底力を回復するとの名分による道路整備、「キャンドル精神」を継承する意味での広場事業も、何かむなしく感じられるのは変わらない。