川崎さんは、自分が下した誤った判断を変えることができる最後のチャンスを逃してしまったことを今も悔しがっている。「北送船に乗る前日、国際赤十字社のスイス出身の美しい女性が私を審査した。『自分の意思で行くのか』という形式的な質問だけだった。1分もかからなかった。あの時まともに審査が行われていたら、多くの人の運命が変わっていたはずだ」
新潟港から東海を眺めながら思いにふけっていた川崎さんが言った。「北送船に乗った9万人の在日韓国人に対し、過去に戻って再び質問するとすれば、北朝鮮へ行くなどと答える人は誰一人としていないでしょう」
川崎さんは1987年に北朝鮮で結婚して1男4女を出産した。夫が死亡し、1990年代に餓死者が続出したことで北朝鮮からの脱出を決め、2000年代初めに娘一人を連れて死線を越えた。家族たちがまだ北朝鮮に残っているため、自分の韓国名とプライベートな情報を公開することができないという。
2004年に日本に定着した川崎さんは、2007年に「日本人」になった。日本国籍を取得したのは、北送事業の被害者を支援する活動を行うためだ。「私は日本国籍を所持しているため、北朝鮮から脅迫されたり被害を被ったりして私の身に万が一の事が起こったとしても、日本政府が動かざるを得ない。帰還事業に責任がある日本政府にこの問題の解決に向けて腰を上げてほしいとの意味合いもある」
川崎さんは12月13日、北朝鮮を脱出して日本に帰国した十数人の在日韓国人と共に再び新潟港を訪れる。同日、約9万人を死地へと送り込んだ北朝鮮政権を糾弾し、日本政府には責任ある解決を要求する計画だ。