「北朝鮮の港に近づいたら先に北送された先輩が『降りるな、帰れ』と叫び声」

 「59年前に北送船が出発した時は、ものすごい雰囲気だった。朝鮮総連系列の朝鮮学校から吹奏楽団がやって来て引き続き演奏した。それこそ地上の楽園に向かうという浮足立った雰囲気だった。在日韓国人だけではなく、日本人たちも通りに出てきて盛大に歓送した」。川崎さんなどを乗せた北送船は、日本海上保安庁艦艇に率いられて出航した。船が日本の領海を抜ける時、日本艦艇から「今後は公海に入ります。さようなら」というあいさつのアナウンスが流された。

 2泊3日にわたる船旅で北朝鮮の役人たちから最初に言われたことは、日本から持ってきた食べ物を全て海に捨てろという命令だった。北朝鮮の人々は日本の食べ物が好きではない、と説明された。その時、川崎さんは言いようもない不安に襲われたという。「食べ物なのに、なぜ日本食だけを捨てろと言うのか。だとすれば『メイド・イン・ジャパン』であるわれわれ在日韓国人も好きではないのではないか」

 北朝鮮にだまされたということを悟った川崎さんが清津に着いて真っ先にしたことは、日本の家族たちが北朝鮮に来ることができないようにすることだった。「こんな非人道的な生活は私一人で十分だと思った。それで家族たちに手紙を書いた。小学4年の弟が大学を卒業して結婚した後に会おうという内容だけをひたすらにつづって送った。絶対に来てはならないという内容だった」。川崎さんの親は、娘が「地獄から送ってきた手紙」の意味を悟って北朝鮮行きを諦めた。

新潟=李河遠(イ・ハウォン)特派員
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連ニュース
関連フォト
1 / 1

left

  • 「北朝鮮の港に近づいたら先に北送された先輩が『降りるな、帰れ』と叫び声」
  • 「北朝鮮の港に近づいたら先に北送された先輩が『降りるな、帰れ』と叫び声」

right

あわせて読みたい