関東大震災で留学生およそ1000人が犠牲になったが、一方で彼らをかくまったり学費を出してやったりしたのもまた日本人だった。高等文官試験に合格し、総督府の官僚を経て解放後は農林部(省に相当)の長官まで務めた任文桓は、留学時代ひどく貧しかった。日本では人力車の車夫や便所掃除夫などの仕事を転々としつつ高校を卒業し、東京帝大へ進学したが、入学金を用意できず焦っていた。そのとき手を差し伸べてくれたのが、岩波書店の社長・岩波茂雄だった。任文桓を夜勤の社員として採用し、給与のほか夕食を支給して、休暇の時期になると別荘を勉強部屋として開放し、卒業式で着る服までプレゼントした。
朝鮮総督府も学資を支援した。「死の賛美」を歌った尹心悳(ユン・シムドク)をはじめ、育種学者の禹長春(ウ・ジャンチュン)、後にソウル大学総長となる権重輝(クォン・ジュンヒ)などだ。著者は禹長春の例を挙げて、官費留学生を親日派と呼ぶことに疑問を投げ掛けた。父親の禹範善(ウ・ボムソン)は閔姫殺害事件に加担した後、日本へ逃亡したが、禹長春は朝鮮へ戻って韓国農業の基礎を固め、1959年の臨終の際には「祖国は私を認めた」という言葉を遺した。
帝大は親日エリートの養成所にして、独立運動と建国の水源地でもあった。著者は「帝国大学という知識制度に関する近代韓国の経験を全て『悪』として道徳化し、それをえぐりだせば問題が解決するかのように考えるのは幻想」と指摘した。392ページ、2万ウォン(約1870円)。