紡績・鉄道・肥料・ホテルなどさまざまな分野で500を超える会社をつくり、日本経済の土台を築くことに寄与した。単に金を稼ぐことだけに目的を置いたわけではなく、論語に基盤を置いた健全な商業倫理を強調し、「経済報国」が広まるようにした。毎日新聞は9日、「(渋沢は)たくさんの業績がある人なので、今まで(紙幣の)肖像画に採用されなかったのが逆に不思議だった」という市民の言葉を伝えた。渋沢は、1902年に明治政府が第一銀行に対して朝鮮で使われる通貨(第一銀行券)の発行を許可した際、10円札・5円札・1円札のモデルとして登場した。第一銀行は、創業者の顔が入った通貨を朝鮮で流通させたのだ。また渋沢は、植民地時代には京城電気の社長としても活動した。
新5000円札に登場する津田梅子は、1871年に明治政府が近代文物を学ぶため西欧に派遣した「岩倉使節団」の一員として歴史に記録されている。津田は日本初の女性海外留学生として米国に留学した後、1900年に「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を東京に設立した。津田は「女性も学ぶべき」と女子学生を督励した。
日本の「近代医学の父」と呼ばれる北里柴三郎は、1000円札の新しい顔だ。1853年生まれの北里は、ドイツ留学中に破傷風菌の純粋培養に成功した。その後、毒素を体内に注入して抗体を作る血清療法を確立したと評価されている。1901年にはノーベル医学生理学賞の候補にも挙げられた。
安倍内閣は2004年の改札時のように、近代日本をつくる過程で尊敬されている人物を選んだ。日本政府は当時、1984年から1万円札に登場している福沢諭吉はそのまま使いつつ、5000円札には明治時代の女流小説家・樋口一葉、1000円札には伝染病を研究した医学者・野口英世を選んだ。今回も、「近代化の偉人、女性の先駆者、科学者」という3セット公式がそのまま適用された。紙幣の裏面も完全に変わる。1万円札の裏には東京駅丸の内駅舎、5000円札の裏には藤、1000円札には葛飾北斎『富嶽(ふがく)三十六景』の一つ「神奈川沖浪裏(なみうら)」が載る。