しかし、検察は水掛けパワハラ事件を不起訴とした。趙会長一族に対する逮捕状が請求が全て却下されると、矛先は趙会長に向かった。検察は航空機整備と機内免税品の調達過程で数百億ウォン台の横領があったとして、趙会長を起訴した。国民年金は「株主価値を損ねた」として、趙会長を大韓航空の理事会(取締役会)から追放した。持病がある患者がこれほどの目に遭って、それでも死ななければおかしいと言えるほどだ。
大企業のオーナー家族によるパワハラや不道徳な行為は非難されて当然だ。趙会長家族は会社の元役員からもそっぽを向かれるほど身の処し方に問題が多かった。しかし、道徳的な非難と法律に基づく処罰が厳密に区別されなければならない。法治とはある行為に犯罪事実がある場合、その容疑を立証し、処罰することだ。反対に特定の人物をターゲットと定め、とにかく捕まえてやるという目的で法律を利用し、ほこりを立てようとすることは法治ではない。趙会長の死について、財界からは「パワハラ殺人だ」という嘆きも聞かれるという。無理からぬことだろう。
現政権が発足後、「積弊清算」の対象となった4人が自ら命を絶った。李載寿(イ・ジェス)元国軍機務司令官、ソウル高検の辺昶勲(ピョン・チャンフン)検事、国家情報院に所属していたJ弁護士、軍需産業の積弊というレッテルを張られて捜査を受けていた企業役員だ。ところが彼らの容疑はあいまいだったり、立証されていないものが大半だ。大衆の怒りに野合する公権力は暴力にほかならない。趙会長の死は自由民主主義と市場経済の根幹である法治主義が今の韓国社会でまともに働いているのかという疑問を投げ掛けている。