先日あるメディア関係者が「大統領の経済史」という本を出版した。出版社は「歴代の大統領が果たした経済政策の業績は一人で簡単に成し遂げたものではない。前任の大統領の努力によって基礎と骨組みが築かれ、後任の大統領がこれを発展させるケースがほとんどだった」と説明した。目次は「李承晩(イ・スンマン):市場経済の種をまく」「朴正煕(パク・チョンヒ):漢江の奇跡を起こす」「全斗煥(チョン・ドゥファン):経済開発の実を結ぶ」「盧泰愚(ノ・テウ):産業化と民主化の出合い」などだ。確かに歴史はこのように流れてきた。もちろん「積弊」という政治報復のフレームは今の文在寅(ムン・ジェイン)政権による創作ではないが、文化的、経済的に見れば「積弊」と書いて「遺産」と読むべきだ。
韓国政治のパラドックスは「積弊を精算することで積弊がさらに積み上がる」ということだ。これは仏教でいうところの「業(ごう)」にも似ている。前政権が業にとらわれれば、後任の政権は業を積み上げる。しかししばらくすると新しい大統領も前任者になる。文大統領も60カ月の任期のうち現在22カ月目だ。しばらくすると折り返し点が見えてくるだろう。
平昌オリンピックの誘致に力を尽くし、組織委員長を務めたキム・ジンソン氏が証言したように、昨年2月のオリンピック開会宣言は本来なら朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が、そして閉会宣言はその次の大統領が行うことになっていた。文大統領は先日フェイスブックに「(平昌で)われわれが作り上げた雪の塊が平和の雪だるまになった」と書き込んだが、それは見掛けの平和にすぎず、その「平和の雪だるま」は北朝鮮の核問題を地球全体の宿題とすることに失敗した。