「韓国人は自分の家から出るごみは塀の外に投げ、日本人は塀の外のごみを自分の家に持ち帰る」という言葉を聞いたことがある。つい先日「今年の移民者賞」を受賞したある日本人女性も同じようなことを言っていた。韓国に嫁に来て28年になるこの女性は「韓国に来ても変わらない習慣は何か」という質問に「今では食事も韓国式に慣れたが、変わらない習慣があるとすれば、外で出たごみを家に持ち帰ることだ。ただこれは夫が最も嫌っている」と話していた。
道端にごみを捨てないことはさほど難しいことではない。それができないのは、その人が「家の外は自分とは関係ない場所だから何をやっても構わない」と考えているからだ。自分と自分の家族以外の領域といえば社会と国だ。口では「自分は愛国者」と堂々と語る人間はこの国にいくらでもいるが、本当に社会と国のことを考えるその根底には何があるのか、それを考えると背筋が寒くなるときがある。
昔学校で読んだ教科書に、独立運動家として知られる月南・李商在(イ・サンジェ)先生(1850-1927)の話があった。ある日、嫁が泣いているので月南先生がその理由を尋ねると、ミシンが壊れたからだという。すると月南先生は「お前は国が滅んだ時には一滴の涙も流さなかったのに、ミシンが壊れたときにはそんなに悲しく泣くのか」と言って嘆いた。100年も前の話だが、今と何も変わらないのではないか。
もう一つ、いつも心に引っ掛かるのはソウル大学韓国学研究院の金時徳(キム・シドク)教授が書いた内容だ。金教授の指摘はこうだ。中国の経書『忠経』は『孝経』に倣って主君への忠誠を論じた書だ。昔から中国や日本では広く読まれ、その人気は近代になっても衰えていない。かつての満州でもこの書は重視されていた。ところが朝鮮や現代の韓国人の中でこの『忠経』について知っている人間はどれほどいるだろうか。前近代の社会における主君、つまり国家に対する忠誠と家(門)への忠誠が衝突したとき、忠を孝よりも優先させた事例は韓国ではほとんど確認できない。もちろん母親の葬儀の時も出征を続けた李舜臣(イ・スンシン)将軍のようなケースがないわけではない。しかしユーラシア東部の地域の中で、唯一韓半島(朝鮮半島)だけは『忠経』の存在感が希薄で、『孝経』だけが受け入れられた特殊な地域であると言わざるを得ないというのが金教授の指摘の趣旨だ。