日本のビールを飲まなければ日本経済に打撃になるのか。アサヒビールを生産するアサヒグループの年間売り上げは20兆ウォン(約2兆1000億円)だが、韓国に輸出される日本のビールを全て合計してもわずか数百億ウォン(数十億円)だ。それでもしばらくストップしていた輸入もわずか2年で元に戻った。素材、部品、装置で独立すると言いながら、日本からのこれらの輸入は増加を続けている。
「今度こそ韓国が世界で本当に日本経済に打撃を与えるのでは」と内心緊張していた一部の日本人も、最近は「韓国で騒がしい反日は日本に対してではなく彼らが国内で争う時に使うスローガンだったようだ」と受け取っている。全く理解できないからだ。「竹槍」を持つと言いながらそれを実際に振り回すことはなかった。
文化に対する韓国側の態度も日本人には矛盾だ。日本のテレビに韓国語が登場すると喜ぶのに、韓国の地上波で日本のドラマは見ることができない。韓国のガールズグループに歓声を上げる日本の若者を見ればうれしいのに、韓国では日本語の一つの単語でも入った歌はラジオで聴けない。日本で韓国語の看板を見ると気分がいいが、韓国で「おでん」「寿司」は不純な言葉で、純化の対象とされている。韓国は「韓日の文化交流を増やそう」と言っているが、日本人からすると韓国は一方的に文化を輸出するだけではないか。
今後も日本人が韓国の歌をたくさん聴き、キムチをたくさん食べたからといって韓日の以前からの外交問題に日本政府が立場を変えることはないだろう。問題の本質が違うからだ。だからといって軽々しく「政治家-国民分離論」を主張すべきでない。日本人の大多数が韓国人と考え方が違うことを認め、日本人に直接こちらの立場を説明する積極的な姿勢を持つべきだ。
同時に韓国も心を開かねばならない。相手を説得する最善の方法はまず相手の声に耳を傾けることだ。こちらは閉じているのに「お前たちは耳を傾けよ」と言うようでは前に進まない。交流は双方向でなければならない。韓国も日本に心を開く準備ができていなければならない。それが対等な韓日関係の基礎になるはずだ。
日本の帝国主義が滅んでからすでに77年が過ぎた。「十年一昔」を8回繰り返したわけで、これは当時生まれた赤ん坊が白髪の老人になるほどの長い歳月だ。今後は韓国人も「日本人は韓国が好きなのか」と問うのではなく、韓国人自らに問うべきだ。「韓国人は日本人が好きなのか」、あるいは「日本を好きになる準備ができているのか」と。