1980年代末に韓国の宗教・天道教(東学)財団の学校に通った。「侍天主うんぬん」から始まる呪文を覚えながら東学軍の活躍について学んだ。当時の先生は「(1894年の甲午農民戦争で日本軍と戦った)牛金峙戦闘当時、東学軍は呪文さえ覚えれば銃弾は受けないと考えていた。1-2万人が竹やりを持って進撃し、1分で600発撃たれる日本軍の機関銃で殺された」と教えた。「抗日、反封建も実力がないと成功しない」と教えたかったようだ。1973年に当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は牛金峙に「東学革命軍慰霊塔」を建てた。当時から東学軍は反乱軍とは考えられていなかったのだ。甲午農民戦争の指導者で東学グループのリーダーを務めた全琫準(チョン・ボンジュン)将軍については、朴槿恵(パク・クンヘ)前大統領の父親も全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領もとても好きだったそうだ。東学革命ほど名誉として考えられる事件は今では非常に珍しい。
2004年に当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は突然「東学革命参加者の子孫の名誉を回復する」として特別法を制定した。毀損(きそん)された名誉などないのに、何の名誉を回復するのかよく分からなかった。政治目的で何か宙に浮いているようにも感じた。「東学審議委員会」は3600人以上の参加者と1万人以上の子孫を探し出して登録した。玄孫までが子孫として認められた。先代の証言や族譜などに基づいて審査が行われたそうだが、曽祖父や高祖父について正確に知る子孫がどれだけいるだろうか。しかしいるにはいたようだ。虐政によって東学革命のきっかけを作った貪官汚吏のひ孫娘が盧武鉉政権当時の大統領府で首席秘書官を務めていた。