与党陣営の奇怪な「チョ・ジヌン擁護論」に見る韓国社会の倫理レベル【鮮于鉦コラム】

「独立闘士を闇に葬る」「正義でない集団リンチ」「みんな少年院の近くまで行った」
共に民主党議員らも加勢
倫理が崩壊した世の中、かつての「野蛮の時代」へ共に引き戻されつつある

 大韓聖公会のソン・ギョンヨン神父は「チョ・ジヌン俳優 戻ってこい!」という文で、同神父が「青少年憩いの場」を運営していた時に経験した少年非行について列挙した。「山の集落や立ち退きにあった人々が住む地域でシンナーを吸い、空き巣をし、カツアゲもケンカもして、店で食べ物を万引きした」「そうした時代(の出来事)を暴いて現代の視点から判断するならば、彼らは息を吸うことも生きていくこともできない」という「チョ・ジヌン擁護論」だった。

 もちろんそうだ。空き巣程度ならば。ところがソン・ギョンヨン神父が列挙した非行に「強盗・強姦(ごうかん)」を追記したら、どれほど多くの人が同意するだろうか。同神父もそれが分かっていたから列挙しなかったのだろう。関連報道が出た後、俳優チョ・ジヌン氏を擁護するほとんどの文でその単語は使われていない。ただ「少年非行」「暗い過去」だとひとくくりひとくくりにするだけだ。なぜだろうか。その言葉には宗教的寛容、少年司法の原則、政派的支持を一気にぶち壊してしまう恐ろしさがあるからだ。

 ソン・ギョンヨン神父が青少年を教化し、18歳のチョ・ジヌン君が罪を犯していたころ、私は社会部記者として警察署を取材していた。1994年のことだ。顔見知りの刑事が、車を盗んだ20代の若者たちを摘発した。若者たちが持っていたカメラとフィルムを押収して現像した。すると、何十人もの女性たちの裸が写っていた。性的虐待の様子も写っていた。押収品から拉致被害者が大量に見つかったのだ。ところが、刑事は犯人摘発よりも被害者を捜し出すことに苦労した。被害者たちが通報しなかったためだ。被害者を捜し出しても本人であることを否定した。認めることによって家庭が崩壊するのを恐れて告訴を拒んだのだ。

 今は加害者の烙印(らくいん)を押されることを心配するが、当時は性的暴行の被害者だという烙印を押されることの方がはるかに深刻だった。性的暴行の犯罪暗数率(隠れた犯罪の割合)が99%と推定されていたころだった。犯人たちは「強盗をする時、被害者たちが通報できないように性的暴行もする」と話しており、多くの場合、それは事実だった。通報されていないことが分かると、再び来て金品を奪い、性的暴行を再度加えた犯罪者も見た。学校暴力は問題意識すらなかった時のことだ。成人であれ未成年であれ、これまで知られていた彼らの犯罪も「野蛮の時代」(秩序や規範が不在の時代)と似ている。チョ・ジヌン氏問題の波紋は、韓国社会が忘れていたこのような「野蛮の時代」の記憶をあらためて呼び起こしたのだ。

 今回の件はもともと、ただの一俳優の問題に過ぎず、複雑な問題ではなかった。ソン・ギョンヨン神父が列挙した程度の非行だったならば、誰も何も言わない。韓寅燮(ハン・インソプ)ソウル大学名誉教授の言葉通り、「闇の中をさまよう青少年の良い道しるべとして賞賛された」かもしれない。しかし、そのレベルではなくなったのだ。チョ・ジヌン氏がどの政権のためにどんな仕事をし、どんなイベントでどんな格好をしたのかなどは全て副次的な問題だ。俳優はイメージで食べていく職業だ。ある教授の言葉を借りるならば、「彼の額に烙印」が押されたのはメディアのためではなく、俳優として受け入れるにはあまりにも深刻な過去が明らかになったためだ。同氏の引退宣言で終わったとすれば、今はソウル・竜山の「ヒョンジ姉さん」(人事請託問題で関与が取り沙汰されているキム・ヒョンジ大統領室第1付属室長)と、(違法医療施術が疑われている)お笑い芸人パク・ナレ氏の「注射おばさん」が交流サイト(SNS)を覆いつくしていただろう。

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  • ▲映画『大将キム・チャンス』 キム・チャンス(金昌洙)は独立運動家・金九(キム・グ)の改名前の名前だ。この映画は1896年の金九の青年時代を描いている。俳優チョ・ジヌンが主人公キム・チャンス役を演じた。

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