1918年、大阪の17歳の女工は、化粧品の使い方を間違えて顔が黄色くなってしまい、同僚にからかわれ、線路に身を投げた。同年、高松のある主婦は、財布を無くしてしまったと思い、夫に申し訳ないという理由でホルマリンを飲んだ。ささいに見えることが、どうして取り返しのつかない選択につながったのだろうか。
精神科医の著者が臨床経験、実際の事件、残された遺書など数十の自死事例を分析した一冊。上の事例は、著者が分類した自死の7類型のうち「懊悩(おうのう)の究極としての自死」に該当する。ひとたび「精神的視野狭窄(きょうさく)」に陥ってしまったら、一つの悩みにとらわれて、最終的には自死以外の他の選択肢が考えられなくなるほど柔軟性が失われるのだという。
自死というテーマを深刻かつ悲痛に取り上げるよりも、むしろ自死の「不謹慎」な側面に集中した。「憂鬱(ゆううつ)なら精神科を訪れてください」といった無難な文章よりも、正面勝負が一つの作戦になり得る、というわけだ。むしろ、自死の累計を冷静かつ客観的に認識すれば、死と距離を置きたくなるのかもしれない。原題は『自殺帳』。344ページ、1万8000ウォン(約1840円)。
ペク・スジン記者