6・25戦争(朝鮮戦争)当時、北朝鮮の朝鮮人民軍が韓国軍の負傷兵と韓国側民間患者1000人余りを銃殺した「ソウル大病院虐殺事件」について、真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委)が「集団虐殺」と位置づける方針であることが3月30日までに分かった。政府機関が認定した「敵対勢力」が犯した虐殺事件としては最大規模だ。真実和解委は近く議決を経て、韓国政府に北朝鮮当局に対する謝罪要求と被害救済策の検討を促す予定だ。
【写真】韓国軍負傷兵と民間人の遺体32体が埋められた地点に立てられた標識
本紙の取材を総合すると、真実和解委は4月初めに全体会議を開き、人民軍第43師団と第4師団第5連隊に所属する朝鮮人民軍約50人などが1950年6月28日から29日にかけ、ソウル大病院で韓国軍と民間人患者1000人余りを無差別虐殺したと公式判断するもようだ。当時ソウル大病院の看護補助員として勤務し、事件を目撃した故ユ・ウォルイム氏の甥チェ・ロン氏(82)が2022年6月に真実究明を申し立て、同年9月に調査が開始された。真実和解委は事件を調査した米極東司令部「朝鮮戦争犯罪調査団(Korean War Crimes Division・KWC)」の80ページの報告書に記載された北朝鮮捕虜、事件目撃者の証言などに基づき、現場調査や文献資料を比較・対照する方式で事件を確認したという。
6・25戦争勃発4日目の1950年6月28日午前1時。ソウルに進入していた朝鮮人民軍約50人は、上部からソウル大学病院に行くよう指示を受けた。そこで治療を受けている国軍負傷兵と民間人患者を射殺せよとの命令だった。北朝鮮の負傷兵を治療する空間を確保するためだった。この虐殺には韓国国民も加担していたことが分かった。午前9時に到着した北朝鮮軍は、先に到着していたソウル市城東区の労働党本部所属の9人から、短機関銃と小銃数十丁を受け取った。3時間後の正午から朝鮮人民軍はソウル大学病院1~3階の病室のあちこちを歩き回りながら患者を無差別に銃殺した。
虐殺は翌29日にも続いた。午前6時、朝鮮人民軍は病室に残っていた国軍負傷兵180人余りを病院の建物の裏山に連れて行き、皆殺しにした。負傷兵が「銃殺するなら早くやれ」と叫ぶと、朝鮮人民軍は「そうしてやる」と引き金を引いた。朝鮮人民軍兵士4人が手りゅう弾を投げると同時に、兵士50人は4~5発ずつ発砲した。朝鮮人民軍は国軍兵士の遺体を遺体安置室や山野、ごみ捨て場に放置し、一部は漢江沿いに埋めた。
真実和解委は朝鮮人民軍のイ・イムチョル大佐、イ・ガングク中隊長をはじめとする50人余りを加害者と断定した。当時虐殺を主導したイ・ガングク中隊長は米軍に拘束された後、「(射殺の理由は)彼らは韓国の共産主義者の敵だったからだ」と述べた。