入隊して10年になるというリ兵士とは異なり、ペク兵士は所属分隊に転入したばかりの新兵だった。2021年5月に入隊し、3年間の訓練を経て、自隊(偵察総局)に配属されて5カ月たった昨年12月に暴風軍団(北朝鮮の精鋭部隊)の所属としてロシアに派遣されたと話した。出発前に聞かされていたのは「訓練を実践のように実施するため」ということだけだった。派兵に関する説明や同意などのプロセスは「なかった」という。
ペク兵士は、「韓国から来た記者」だと話すと、淡々と「お会いできてうれしいです」と言った。質問に対しては、しばらく考えてから言葉を選ぶように話し、「エリート軍人」のプライドを見せることもあった。しかし、故郷に一人残してきた母親(50)の話をすると目が赤くなり、将来の計画は企業家になることだと言った。そんな夢を語る21歳のペク兵士は、親思いの平凡な韓半島の若者でもあった。以下はペク兵士との一問一答だ。
-以前、写真を見たら手に包帯を巻いていましたが、手はもう大丈夫なんですか。
「あ、あれは、その、そうでは(負傷したからでは)なくて、ええと、…万が一のことがあるかもしれないから」
-もしかしたら、良くない決心をするかもしれないからですか?
「はい」(北朝鮮軍の兵士は捕虜になったら自爆するよう教育されている。ペク兵士は「もうそんなことは考えていないですよね?」との質問に、静かにほほ笑むだけだった)
-初めてここに来た時のことを覚えていますか。
「よく覚えていません。(生き残ったという)安堵感というものよりも、とにかく自分が捕虜になったため、その精神的圧迫感のほうが大きかったです」
―捕虜になったらどうするよう教育を受けましたか。
「(沈黙)」
-ご両親にとても会いたいでしょう。
「はい…」
-お2人ともお元気なんでしょうか。兄弟や姉妹は。
「母だけなんです…。(きょうだいは)いません。父は私が軍隊に入る年に…。具合が悪くなったので治療も受けていたんですが。そうなりました(亡くなったという意味)。その時は私が軍隊に入隊する前だったので。軍隊に入る前の月に…」
-お父さまはどんなお仕事をされていたんですか。
「医師でした」
-軍で生活をしていて、お母さまには頻繁に会えたんですか。
「いいえ」(一度も会えなかったのかと聞き返すと、ペク兵士は「はい」と答えた。何年間だったのかと尋ねると「今年でもう4年…」と話した。母親はロシアに来ていることも知らないのかという質問にも「はい」と答えた)
(後編に続く)
キーウ(ウクライナ)=鄭喆煥(チョン・チョルファン)パリ特派員