韓日3度目の乙巳年【コラム】

1965年の国交回復後の韓日関係
過去の傷跡の克服に努めたが
過去史の陰影が依然として根強い
今後60年で共に解決していくべき

 1905年の乙巳勒約以降、日本の植民地支配からの解放まで、韓日関係は支配と侵奪、抵抗と怒りでつづられた不幸の歴史だった。2度目の乙巳年に当たる1965年に国交回復して以降、両国は過去の過ちを修正しようと共に努力してきた。国家戦略に伴う必要性と尹東柱詩人の死に胸を痛めた民間人の純粋な感情などが一方向に動いた結果だったと思う。

 日本は植民地支配に対する申し訳なさから韓国との関係回復に乗り出したわけではないだろう。ドイツ首相がポーランドを訪問してひざまずいたではないかという反論もあるが、これは第2次世界大戦以降、戦犯国から正常国に跳躍するためのドイツの戦略的選択だった。日本も同じだろう。にもかかわらず、韓日両国は「1965年の乙巳年以降」とは異なる3度目の乙巳年を築き上げていかなければならない。2025年初めに張勲氏の韓国国籍放棄のニュースが伝えられた。「日本プロ野球名誉の殿堂に名前が挙がった時よりも、韓国プロ野球のスタートのニュースがよりうれしかった」と言った張勲氏だったために意外だった。張勲氏は普段から「私は韓国人ということが誇らしいが、日本に謝罪を要求するのはやめよう」と話していた。もしかすると、張勲氏は3度目の乙巳年以降の韓日関係が、過去120年と異なることを望んでいたのかもしれない。両国が共に悩み、解決していかなければならない宿題だ。

金泰勲(キム・テフン)論説委員

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