機長の兄とみられる人が書いた手紙もあった。「孤独な死闘に臨んだことを思うと、とても胸が痛む。お前は既に、本当に立派だったし、十分よくやったので、今は暖かいところで幸せになってほしい。兄より」。この手紙の下には焼酎2本とキンパ2本、お菓子1袋、牛乳1本、使い捨てカイロ1個が置かれていた。
遺族が滞在している務安空港待合室の階段には、メッセージの書かれた紙が手すりに沿って1000枚以上貼られていた。朝の時点では300枚程度だったが、一日で手すり全体が埋め尽くされるほど増えた。「おしゃべりだったママ、あちらでは毎日私たちの話をしながら楽しく幸せな時間だけを送ってね」「お姉ちゃん、どこにいるの? お姉ちゃんがいる場所が平和でありますように…これ以上痛くありませんように…」「愛する伯母さんたちへ、あけましておめでとう。新年を一緒に過ごすことはできなかったけど、いつも一緒だからね」「どうしてこんな試練を与えるのでしょうか。179人の高貴な命を見送らなければならないという試練を」などのメッセージが目に留まった。
務安空港の1階に設けられた合同焼香所には、犠牲者を追悼するために大勢の人々が集まった。行列は600メートルまで伸びた。空港の職員たちは「秩序を守ってください」と書かれた札を持って、訪れた人々を案内していた。大勢の人々が殺到したため、務安郡は「追悼にいらっしゃる方々は、務安スポーツパークの焼香所を訪れてください」という携帯メールを送った。全羅南道は空港近くの務安スポーツパークにも焼香所を設けている。
双子の息子と妻と共に焼香所を訪れたイム・ジョングァンさん(46)は「うちの息子ぐらいの子たちも帰らぬ人となったというのだから、涙が出る」「次の人生ではつらいことが起きませんように、と祈る気持ちで焼香所を訪れた」と話した。イムさんの息子のアジュンくんとヨジュンくん(共に9歳)は「幸せに天国に行ってください」と直筆の手紙を書き、合同焼香所前の階段に貼った。
この日午前には、遺族たちが事故後初めて滑走路の現場を訪れ、故人を追悼した。バラバラになった機体の前に果物や餅などを供えて追悼式を開催した。遺族たちは滑走路の上に崩れ落ち、声を上げて泣いた。
務安=チョ・ホンボク記者、チン・チャンイル記者、キム・ビョングォン記者、ヒョン・ジョンミン記者