■独立運動を象徴する各レリーフ
左端には、義兵活動の様子を撮影した唯一の写真である「楊平義兵写真」をモチーフにした抗日義兵武装像が彫ってある。1907年9月に、「丁未義兵」の活動を記録した英デーリー・メール紙記者フレデリック・アーサー・マッケンジー(Frederick Arthur MacKenzie)が撮影した写真だ。
マッケンジーは、義兵との対面をこのように記した。「彼らはいずれも、十八歳から二十六歳くらいまでの青年であった。(中略)六人の者がそれぞれちがった五種類の武器を持っていたが、その一つとしてろくなものはなかった。一人は、もっとも古い型の火縄銃として知られている昔の朝鮮の先込め銃を誇らしげに持っていた。(中略)第二の男は古い朝鮮軍の銃を持っていたが、まったく旧式で、その時代の悪い見本みたいなしろものだった。第三の男もまた同じであった。もう一人は、ちっぽけな先込め銃を持っていたが、それは、父親が、可愛(かわい)がっている十歳くらいの子供にやるような、無害なことうけあいというしろものであった。さらにもう一人は、馬上用の拳銃を持ち小銃弾倉をつけていた。三丁の銃には中国のマークがついていた。それらの銃はいずれも、古錆(さび)がついて腐蝕したものであった」(F・A・マッケンジー著、渡部学訳注『朝鮮の悲劇』〈東洋文庫222〉199-200ページ)。レリーフでは、写真に登場する義兵13人のうち印象的な人物7人を選び出して彫刻した。大韓帝国の軍服を着た指揮官や、子どもっぽい少年兵まで、マッケンジーの見た義兵たちの姿が刻まれている。
李奉昌・尹奉吉の行動と柳寛順、三・一万歳、安重根、義兵逮捕と処刑、青山里の戦いまで、他のレリーフも当該人物や事件を容易に連想できる場面で構成されている。問題は左から3番目、「独立軍義兵殉国先烈処刑像」だ。この作品では「集団絞首刑に遭った義兵たち」が彫刻されている。
朴鍾仁(パク・チョンイン)記者