京都国際高校を知る人々は「同校の野球部が神話を作った背景には、小牧憲継・現監督(41)の献身がある」と口をそろえる。小牧監督は京都国際高校に近い京都成章高校野球部の出身だ。1999年に京都国際高校に0-34の大敗という屈辱を与えたあの学校だ。小牧監督はこの時の選手だった。高校卒業後、銀行員をしていた小牧監督は、知人の勧めで京都国際高校のコーチを務めることになった。ところが、当時の監督が突然辞任したため2008年から監督に就任し、野球部を率いることになった。もともと長くいるつもりはなかったが、韓国(徳寿中学)から野球留学に来た申成鉉(シン・ソンヒョン、34)=現:斗山ベアーズ戦力分析員=が小牧監督の情熱に火をつけた。京都国際高校の朴慶洙(パク・ギョンス)前校長は「(小牧監督は)申成鉉選手の粘り強さとハングリー精神を見て、『こういう選手がいるならずっと指導したい』と考えを変えたそうだ。その瞬間が京都国際高校野球部を今の姿にまで至らせた」と語った。朝日新聞は「今は日本人選手がほとんどだが、当時は日本語がうまく話せない韓国からの留学生が多く、小牧監督は『身ぶり手ぶり』で選手たちを教えようと努めた」と報じた。緊張をほぐす「柔らかいカリスマ」と選手一人一人に合わせた個別のトレーニング方法が京都国際高校野球部躍進の秘訣(ひけつ)だとの分析だ。
朴慶洙前校長は2017年から昨春まで在任していた。韓国教育部の元公務員で、駐大阪韓国領事館に勤務していたことから京都国際高校と縁ができた。朴慶洙前校長は赴任と同時に野球部改革に乗り出した。20年以上前のバスを取り換え、料理人を雇って毎朝食事を提供した。トイレ・浴場などの古い施設や、グローブなどの練習道具も変えた。こうしたことが野球部の志願者を増やす効果を生んだ。今回の甲子園大会でエースとして活躍した2年生の左腕投手・西村一毅も京都ではなく滋賀県出身だ。韓国プロ野球の起亜タイガースは今年3月、練習ボール約1000個を京都国際高校に寄贈している。
23日、甲子園球場の三塁側スタンドには約2800人の京都国際高校応援団が陣取り、試合中ずっと熱い応援を繰り広げた。京都国際高校の在校生は約100人で、残りは京都地域の他校の生徒だった。赤いユニホームを着て、トランペットやドラムなどの楽器で応援歌を明るく力強く演奏していた吹奏楽団約80人は、京都国際高校近くの京都産業大学付属高校の生徒たちだ。地域を代表して出場した京都国際高校を応援するため、自ら買って出た。京都で小学校に通う「さんただ しょう」君(11)は「友達約10人と電車に乗ってきた。野球の練習を頑張って、京都国際高校に必ず入りたい」と語った。
試合が終わり、同日昼12時30分ごろ、両チームの野球部員と観客約3万人で埋まった甲子園球場に、京都国際高校の韓国語の校歌が鳴り響いた。甲子園大会では試合終了後、勝った高校の校歌を流す慣例がある。「東海の海 渡りし 大和の地は/偉大な我らが祖先 古の夢の場所/朝な夕なに体と徳 磨く我らの仲むつまじい巣/韓国の学園」(訳注:韓国語歌詞直訳)…京都国際高校の校歌が甲子園球場に鳴り響いたのは6回目だった。同日、気温35℃前後という猛暑の中、死闘を繰り広げた京都国際高校と関東第一高校の選手たちは、それぞれ一塁側と三塁側に並び、厳かに京都国際高校の校歌を聞いた。京都国際高校の選手たちは力強く校歌を歌い、三塁側スタンドの京都国際高校在校生約100人は一斉に「KOKUSAI(国際)2024」という母校の名前が赤い字で入った応援タオルを振った。京都国際高校の藤内翼選手(2年)は「2021年に京都国際高校が甲子園に初めて出場した試合を見て入学した。グラウンドのチームメイトたちも、ベンチの選手も、応援席も僕たちもみんな一丸となって闘った」と語った。応援団長を務めた山本新之助選手(3年)は「僕らのチームワークが日本全国1位につながった。卒業前に優勝させてくれたチームメイトたちに感謝する」と言った。京都国際高校の夏の甲子園大会出場は今回が3回目だ。2021年の初出場時はベスト4入りを果たしたが、翌年は1回戦で敗退した。
兵庫=成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長、キム・ドンヒョン記者