弓矢が登場する世界で最も古い壁画は韓国にある。蔚山市蔚州郡の盤亀台岩刻画だ。韓民族は新石器時代、遅くとも青銅器時代初期にはすでに弓矢を使っていたのだ。世界的に見て弓矢の扱いに優れた国の元祖とされるのが2-3世紀に中東を支配したパルティアだ。馬に乗りながら後方に向かって弓矢を放つのが「パルティア射法」だ。この難しい弓術は東方にも伝わるが、韓国もこの技法を使っていた事実が5世紀の高句麗古墳「舞踊塚」に描かれた狩猟図から明らかになった。
高句麗建国神話の東明王の逸話には「朱蒙(チュモン)は7歳から弓を手作りし、矢を放つと百発百中だった」と記録されている。朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は神弓と呼ばれた。高麗末の荒山大捷(たいしょう、大勝利)で倭寇の大将に弓矢を命中させたとの記録がある。威化島回軍で李成桂が兵士らを戻す口実とした四不可論にも弓矢が登場する。「今は梅雨の時期で弓を付ける接着剤の膠(にかわ)が緩む恐れがある」という内容だ。弓矢は西洋人も好んで使った武器だった。アポロン、ヘラクレス、アルテミスなど古代神話の主人公たちは弓矢の名手でもあった。
西洋では引き金を引く機械式の弩(いしゆみ)が主に使われるようになった。スイスの伝説に登場するウィリアム・テルの武器も弩だった。殺傷力に優れていたため、12世紀のローマ法王イノセント2世は「キリスト教徒同士の戦争には弩を使うな」と命じた。今で言えば大量破壊兵器のようなものだった。韓国の弓矢には木製の木弓あるいは木を複数重ねてサイの角と付け、張力を強めた角弓が使われた。韓国映画「神弓(最終兵器 弓)」に登場する片箭(へんせん)には短い特殊な矢が使われた。今の銃身に相当する桶児(とうじ)に入れて打てば殺傷力はさらに強まる。至近距離なら鉄の甲冑(かっちゅう)をも突き破るほどだったという。朝鮮の新兵器だったのだ。
大韓民国に何も誇れるものがなかった時代、弓は国民の誇りだった。1979年のアーチェリー世界選手権大会に出場した少女弓師の金珍浩(キム・ジンホ)が五つの金メダルを獲得して帰国した時、国中が大騒ぎになった。しかしそれは始まりに過ぎなかった。
韓国女子アーチェリーがオリンピック団体戦で10連覇を達成した。オリンピックの一つの種目で一つの国が一つのスポーツを40年にわたり支配するのは「偉業」という言葉でさえ適切ではなく、「神話」と言っても過言ではないだろう。米ワシントン・ポスト紙は「超人的」と報じた。今回の決勝で韓国選手たちが上回っていたのは最終的にわずか1点だった。しかしその1点に韓民族と弓との数千年の因縁が宿っている。そのためこの牙城は今後も簡単には崩壊しないだろう。
金泰勲(キム・テフン)論説委員