【パリ聯合ニュース】「独立運動家の子孫がフランスの空に太極旗(韓国国旗)をはためかせに行きます」――。
29日(現地時間)に行われたパリ五輪の柔道女子57キロ級決勝で世界ランキング1位の出口クリスタ(カナダ)に惜敗し、銀メダルを獲得した在日韓国人の許海実(ホ・ミミ、21)は、五輪を1カ月後に控えてこのように語っていた。金メダルには届かなかったものの、銀メダリストとして表彰台に上がったことで、この言葉は現実となった。
韓国人の父と日本人の母を持ち、日本で生まれ育った許は、柔道大国の日本で中学時代から頭角を現し始めた。
中学3年生だった2017年に全国中学校柔道大会女子52キロ級で優勝し、翌年には全日本カデの同階級で準優勝。一方で勉強もおろそかにせず、名門の早稲田大スポーツ科学部に進学した。
スター選手への道をひた走っていた2021年、祖母が他界。おばあちゃん子だった許は「韓国代表として選手生活をしてほしい」という遺言を受けてためらうことなく韓国行きを選んだ。
同じ在日韓国人で旧知の仲の金知秀(キム・ジス、23)と共に慶尚北道体育会の柔道チームに入団した許は、その過程で自身が独立運動家、許碩(ホ・ソク、1857~1920)の子孫であることを知った。
許碩は日本による植民地時代、抗日の檄文(げきぶん)を張って投獄された人物で、1991年に建国勲章愛国章を授与された。
しかし、許が韓国代表になるまでは困難もあった。21年当時は新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)で出入国が制限されており、韓日両国を行き来することも難しい状況だった。
許の父もまだ10代だった娘を案じ、韓国代表選抜戦への出場に反対した。
慶尚北道体育会のキム・ジョンフン監督は「韓国に知り合いもおらず、両親の反対もあったため、許にとって最も大変な時期だった」と振り返る。
だが、このような苦労をものともせず、22年に韓国代表に選ばれた許は目覚ましい成長をみせた。弱点とされてきた筋力をトレーニングで補強し、国際試合での経験を積む中で試合運びも上達した。
許は22年6月の国際大会デビュー戦、グランドスラム・トビリシ大会で優勝。同年の世界選手権では準決勝進出に成功した。
今年もグランプリ・ポルトガルで金メダル、アジア選手権で銀メダルを獲得するなど好調を維持し、5月の世界選手権では出口クリスタを破り金メダルに輝いた。
韓国の女子選手が世界選手権で優勝したのは、95年の鄭成淑(チョン・ソンスク、61キロ級)とチョ・ミンソン(66キロ級)以来29年ぶりだった。
その2か月後、五輪でも太極旗をはためかせた。
決勝を終えた許は「(祖母に)きょうまで柔道を頑張ったし、これからも頑張ると伝えたい」としながら、「(優勝できず)残念ではあるが、幼いころからの夢だった五輪で太極マークをつけて決勝まで進み、本当に幸せだった。メダルを取れたのもとても幸せだ」と笑顔で語った。
韓国の国歌「愛国歌」の歌詞を事前に覚えたという許は「歌えなくて残念だ。次の五輪では必ず歌いたい」と4年後の再挑戦を約束した。
また「(4年後には)体力がもっとついていそうだ。次の五輪では必ず金メダルを取れると思う」と自信をのぞかせた。